小説

『二十世紀のポルターガイスト』日影【「20」にまつわる物語】

 寝息をたてる妻。
「苦労を、かけたね……」
 妻の寝顔にそっとつぶやくと、老人はこらえきれず、うぐっとひとつ唸り、嗚咽した。
 絶望と孤独――とてつもなく巨大な怪物に飲み込まれそうだった。
 もう一度、妻の顔を見る。
「母さん、そろそろ行こうか」
 おもむろに立ち上がると、老人は仏壇に向かった。
「ごめんよ……ごめん」何度も仏壇の娘に謝る。
「もうすぐ、会えるから、だから、ゆるしておくれ」
 除夜の鐘が、遠くで聞こえる。
 老人はタンスから薄ピンク色の細い帯を取り出すと、それを妻の首に優しく巻きつけた。
 そして髪を撫で、ごめんよ、と耳元で小さくつぶやく。
 子供のように眠る妻は、寝息を立てたままだ。
 帯を持つ手に力を込めた。
 パンっと大きな音を立て、テレビからオレンジ色の火花が散ったのは、その時だった。

◇◇◇

 賑わう声がはじけ飛ぶアメヤ横丁の雑踏を横目に、ふたりは細い路地に入ってゆく。
 老夫婦の周りだけ、静寂のスローモーション。
 冬の風に妻のマフラーをきつく巻き直す。
 静寂の中で交わす静寂の会話。
 風の音だけが、悲しく聞こえた。

◇◇◇

「母さん、寒いから、家に入ろう」
 大晦日の雑踏を抜けてきたふたつの小さな影が、ゆっくりと家の中に消えてゆく。
 暗い部屋の中に入ると、老人はカチッと、電気をつけた。

“おかえり”

 明かりの中には、ひとりの女性が立っていた。
 エクボが印象的な笑顔。遺影の中の女性――ふたりの娘だ。
“寒かったでしょ”
 その声に、妻だけが、かすかに頷いた。
「おまんじゅうが食べたいわ」
 老人は戸棚からまんじゅうを取り出すと、それを妻に手渡した。

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