小説

『葦です』室市雅則(『パンセ』パスカル)

どうも、葦です。
 本来でしたらお声がけするのはアウトというかダメなんですが、今回はちょっと例外ということでさせて貰いました。驚きましたか?あ、そうでもない。失礼しました。
 僭越ながら、自己紹介をいたしますと生まれも育ちも隅田川の生粋の江戸っ子です。とりあえず名前はありません。
 あ、すみません。ちょっとその手を止めて、お持ちになっている物も脇に置いて頂いて、私の話をお聞き願えますか?そうです、そうです。手にお持ちの銀のやつを。あ、手を止めて、それも置いて下さりましたね。ありがとうございます。

 今から大体四百年くらい前ですかね。人間様でフランスにいたパスカルさんという数学や哲学の天才の権化みたいな先生の本『パンセ』の中に『人間は考える葦である』とございます言葉はご存知ですか?あ、ご存知で。良かった。知らなかったらもう話は打ち切りだし、そうなったら、どうしようかなって内心不安だったんですけど良かったです。あ、かなり有名な言葉で?ああ、それはそれは失礼しました。あとは『パスカルの定理』ですとか『パスカルの賭け』、お天気情報でよく耳にします圧力の単位『ヘクトパスカル』もパスカル先生にちなんで付けられておりまして、そうやってお分かりになりますようにそれは凄い先生でございますよ。
え?いいから早くしろ?まあまあ、そうお焦りにならないで。『急がば回れ』、『短気は損気』と昔から…あ、別の箴言出したらわけが分からなくなってしまいますね。すみません。
今は『人間は考える葦である』に焦点を絞りましょう。フォーカスしましょう。で、そのパスカル先生が仰ったことは至極ごもっとも、正鵠を射ているということで、四百年という時間を経ても色褪せることなく今でも光り輝く金言として語り継がれているわけですが、私はどうも納得いかないというか、完全にアグリーできない感情があるんです。
いえ、パスカル先生や人間様に文句があるってわけじゃあないんですよ。そんなことは畏れ多くて滅相もございませんよ。
私が申し上げたいのは『人間は考える葦』と断言されてしまうと逆に私たち葦は何も考えてないと思われてしまうのではと危惧をしているのです。
回りくどい?すみません。つまり、私は私たち葦はちゃんと考えていると言いたいのです。決して賢くもありませんし、有能でもありません。無論、パスカル先生の言葉をお借りして『考える葦は人間である』などと不遜なことを申し上げるつもりでもなくて、人間様は人間様、葦は葦であることは定理というか、原理というか、真理であることは承知しております。
 それに私たち葦は、こんな水辺にいるものですから大風が吹けば倒れてしまいますし、雨をしのぐ天井もありません。そうそう、天井と申しますと、私たちの別名は『ヨシ』と申すのですが、『葦の髄から天井を覗く』ってご存知ですか?あ、知らない?すみません。これは自分だけの狭い了見だけで、無限に広がる世界について講釈をぶったり、判断をして、全部を知った気になっていることを言っているんです。まあ、私たちの細い茎の中は空洞なのは真実なのは認めますが、あまり褒められない例えに使われてしまっているのが悔しいんです。実際の我々は天井を覗いているのではなくて、大空、お星様、お月様、宇宙ともう少しスケールの大きい物を覗いているので、決して独善的にはなっていないと思うのが本音ですけどね。それはこれだけ葦が群生しておりましたら、タチの悪い輩もいるかと思います。あ、少し脱線してしまいました。あ、そもそも本線がどこか分からない?すみません。

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