小説

『笑う男』矢澤準二(『猫町』萩原朔太郎)

 三十メートルくらい先に、薄い茶系の背広を着た男の、小柄な後ろ姿が見えた。男はまっすぐ歩いていく。このまま行くと、六区の映画館通りだ。男は映画館通りに出る手前の道を右に曲がった。卓郎も少し歩く速度を上げた。角を曲がると、昔からある古びた看板の喫茶店の前を、男が歩いているのが見えた。その先はホッピー通りの入口になる。ホッピー通りというのは通称だ。十メートルくらいの幅の道の両側に、煮込みや焼鳥を肴にホッピーやビールを飲ませる居酒屋が、軒をつらねている。
 男がホッピー通りに入るのが見えた。卓郎も遅れて通りに入った。道の両側の店からの煮込みの匂いが鼻をついた。子供の頃はこの匂いが大嫌いだったことを思い出した。この匂いがいやで、通りを走って抜けようとし、まだ舗装されていない雨上りの道で転んで、泥だらけになったことがある。近くの店のお姉さんが親切に、タオルで身体中を拭いてくれた。自分の嗜好が変わったのか、材料が変わったのか、今は煮込みの匂いで困ることはないが、今日の匂いはかなり強烈だ。これは昔の匂いではないのか。
 そんなことを考えつつ、目の前の店を見た。卓郎のよく知っているホッピー通りの店と、様子が違っていた。ホッピー通りの居酒屋は、通りに面した建物の中にある。それに加えて、建物の前にテーブルと椅子を並べ、その上をビニールのテントで囲って、店の一部としているところが多い。今目の前にある店は、屋台の上をテントで囲っただけだ。本来その後ろにあるはずの、店本体の建物がない。
 記憶をたどれば、昔はどの店もこのような作りだった。目を通りの前方に向けると、両側に並ぶ店の作りは、全部目の前の店と同じみたいだ。屋台をテントで囲っただけの店が、通りの端までずらっと並んでいる。たくさんのテントの入口から漏れる光が、二本の光の川のように、道の両側を流れている。
 卓郎は、足元を見た。黒い土だった。舗装をしていない。目を上げると、雨上りのように、あちこちに水溜りができている。その水溜りに、両側の店からの電灯の光が映って、おびただしい数の月が、道の上に散在しているように見える。
俺はいつのまにか、昭和三十年代の浅草の町に迷いこんでしまったのだろうか。そんな不思議な考えが、不意に頭に上った。もしもそうだとしたら、それはいつだろう。どこでだろう。
 あの時かもしれない。銀座線の車内の電灯が、不意に消えたあたり。本来の浅草駅に繋がる線路とは別に、昭和三十年代の浅草の町に繋がる線路が、もう一本あったのではないか。あの柴犬に似た男を尾行して、俺は別世界に行く電車に乗ってしまったのではないか。
 卓郎は気を取り直して、さっきの男を探した。通りを歩いている人は一人もいなかった。男はどこかの店の中に入ったのだろうか。店を一軒一軒覗いてみれば見つけられるかもしれないが、それも大変だ。
 だいたい俺はあの男を探してどうしたいのか。一緒に酒でも飲みたいのか。そして酒を飲みながら、今朝の顛末を聞きたいのか。新橋で昔の友人と酒を飲んで、電車の中で今朝の男を見つけて、そのままふらふらと、その男の後をついてきてしまった。もういいじゃないか。お開きにしよう。今何時だろう。卓郎は左手の腕時計を見た。左手に腕時計はなかった。
 俺は自分で思っているよりたくさん酒を飲んだのだろうか。そう思ってみると、心臓の鼓動がはっきり感じられる。きっと心臓はアルコールをたっぷり含んだ血液を身体中に送りだしているのだろう。その血液は当然頭にも廻っている。頭が膨れたような気がするのはそのせいか。

1 2 3 4 5 6