小説

『灯台守の犬』はやくもよいち(『定六とシロの物語(秋田の昔話:老犬神社)』)

声のする方に顔を向けると、両手に湯気の立つマグカップを持つ父親がいました。
その背後に金モール飾りのついた白い制服姿の二人組が立っています。
毛布とマグカップは、その人達が持ってきてくれたものでした。

「おはよう、お嬢さん。お茶はいかがかな」

あご髭に白髪の混じった男が、深々とおじぎをしました。
アンジェは軽くあごを引きます。
「ミルクと砂糖を2つ……」と答えかけた時、窓いっぱいの飛行船が見えました。

彼女が生まれてから、飛行船がケイン村に降りたことはありません。
朝の陽光に輝く銀色のシリウス号は、30人乗りの客船です。
港の貨物船よりも大きなものが空に浮かんでいる! アンジェは驚きました。

船長は眉をほんのわずかに寄せると、あご髭をひとなでしました。
両手を下ろして姿勢を正し、目と鼻の先に停泊する飛行船に心を奪われたアンジェに声をかけます。

「君と君の犬が助けてくれたシリウス号だよ」

私とペスが飛行船を助けたですって? アンジェは身に覚えのないいたずらを問い詰められた時の気持ちになりました。

そんなことしてないよねとペスを探します。

「アンジェリカ、ここだよ」

マルコが抱えた毛布の真ん中で、ペスは体を丸めていました。
目を閉じて、静かに眠っているようです。

アンジェはひと目で異変に気がつきました。

言葉もなく父親に飛びつくと、毛布の上のペスにおそるおそる手を伸ばします。
体に触れる寸前、手が震え始めました。
彼の周りにいつも漂っている、温もりが感じられません。
ふかふかの毛皮の匂いもしません。もう、生きていないのです。

「35名の命を救うために、ペス君は命をかけてくれたんだね」

随行している船員が声をかけました。

「ペスは灯台守だから」

アンジェはそれだけしか言いません。
マルコは娘の横顔を見ながら言葉を継ぎます。

「この犬は天気が悪い夜はいつも、オレをここまで引っ張って来た。明かりを灯すまで帰してくれないんだ。ペスはパラディ先生がいなくなってからもずっと、灯台守をしていたのさ」

アンジェはペスの固くなった背中をなでて、お家に帰りましょうとささやきました。
うなずいたマルコはペスに毛布をかぶせ、先に階段を下り始めます。
アンジェが後に続きました。
船長は船員に指示を与えると、二人の後を追いました。

地上では母親のマリーと弟のポール、村の人々、飛行船の乗客たちが、アンジェの下りてくるのを待ちわびていました。
シリウス号の一等航空士がケイン村へ行き、昨晩起こったことの一部始終を伝えていたのです。

アンジェは鉄製の扉をくぐると、母親のもとへ駆け寄ります。
マリーの胸に抱かれたとき、やっと声を張りあげて泣きました。

 
その年の夏、ケイン灯台の下にパラディ先生とペスの像が立ちました。
落成式の日、いつもよりも着飾ったマルコとマリー、アンジェ、ポールの一家は、子犬のペスカトーレ・ジュニアを連れて式典に出席しました。

アンジェの腕の中、ジュニアは雲ひとつなく晴れわたった空を見上げます。
ポールが耳の後ろを撫でるとジュニアは目を細め、鼻先を青空に浮かぶシリウス号に向けました。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13