小説

『絶望聖書』柘榴木昴(『クーデンベルク聖書』)

 大回転する頭に心臓は追いつけない。私の求める心臓への快楽は急速に凍り付いていった。私が欲しいのは、このクーデンベルグ聖書が私に求めるものは中世後期の風と、発展の狼煙の匂いではなかったのか。高揚は一転、冷たい闇と乾いた指に支配されていた。今、私にある感情は混乱と衝撃と――喪失感だった。
 支配者が支配下と入れ替わる。クーデンベルグ聖書の文字は人が書いたものではない。人間の不完全さと癖が込められた揺らぎのある文字ではない。そうして何ものにも代えがたい神聖を人間は失った。それを現代に置きかるならば、あらゆる会話が脳のプログラムであったと証明されたようなものだ。母子の、親友との、恋人との心通う会話も罪人と役人の、ふり絞る叫びの全てがただの音と記号へのレスポンスであったようなものなのだ。何ものにも代えがたい人間としての感動を失うことと同義だ。
 だが実際に中世から先、人はその喪失を体験する。最大の矛盾に人間は気付き始める。そう、神の言葉は、使徒と人間の物語は人間が作ったモノなのだ。
 ここに神はいない。人の温度のない印刷物に神は宿らない。クーデンベルグ聖書こそ、永遠の喪失の嚆矢なのだ。剥離された神聖の最初の一枚なのだ。
 気付いてしまった。神は常に人間と共にあった。あらゆる神話に人間は神の脅威と庇護と試練にさらされていた。だが。

 その時絶対者はどこにいた?

「人間は言葉を手にした。神がキスして離さなかった人間は、こうして永遠に分割された。人間は叡智への永遠の一歩を決別というもとに歩み出した。それはもう終わらない。終わりがないことを永遠というのだ。人間はそれから個人を手に入れた。個人は孤独という猛毒を生み、神も世界も切り離せる証明たる絶望を生んだ。人間は考えた。孤独はどこからやってきたのか。文明だった。人間の文明が孤独を生んだ。私が私であるという死が生まれた。それを望んだ者たちが人間だった。革命は宗教と科学を巻き込んで人間を轢殺する両輪となった。行き場がない思考を無限のかなたに追いやるために無意識の中にあるデッドエンドの宴まで用意したのだ」

 モザイク調の言葉がバラバラ降り注ぐ。角ばり色あせた言葉のタイル達。私の全身に、心臓に、自我に刺さり溶けていく言葉たち。

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