小説

『はたから見たらごんぎつね』渋澤怜(『ごんぎつね』)

D ごんぎつねいない
 おっ母と貧しい二人暮らしをしていた兵十は、床に伏したおっ母の看病が嫌で嫌で、早く死んでほしいと思っていました。ただでさえ貧しくて、ひとりで暮らしていくだけでも大変なのに、食べるばかりで何もしないどころか、世話に手間がかかって仕方なく、しかもあれやこれやと小うるさく指図してくるおっ母が、うとましくてならなかったのです。
 自分に嫁がなかなか来ないのも、この小うるさいおっ母のせいに違いないと思っていました。
 ある日、おっ母がどうしてもうなぎを食べたいというものだから、孝行息子を名乗る手前、うなぎを捕りに川へ出かけた兵十でしたが、もしうなぎを食べて精をつけたおっ母が元気になってしまったらどうしよう、と思うと、はりきり網をもつ手にも力が入りませんでした。
 兵十の思惑とは裏腹に、なかなかの量のうなぎが捕れました。ああ、うなぎをさばくのも面倒だし、どうしよう、また仕事がふえる。はりきり網をずるずるとひきながらうちひしがれる兵十の頭に、ふと、あることがひらめきました。きつねが、いたずらをしてきて、魚がすべて逃げてしまったことにしよう。そう思いついた途端、兵十の腰はうきうきと軽くなりました。周りに誰もいないことを確かめた兵十は、はりきり網を放り投げ、びくの中にいた魚もすべて川に戻すと、とぼとぼとした足取りを作って、家に戻っていきました。そして家で母の顔を見るなり、近ごろ、ごんぎつねというたちの悪いきつねが、夜でも昼でも、村にあらわれて、いたずらばかりするのだ、はたけへ入って芋をほりちらしたり、菜種がらの、ほしてあるのへ火をつけたり、百姓家の裏手につるしてあるとんがらしをむしりとったり、いろいろな悪さをするのだ、今日もそのきつねが現れて、びくの中に入れておいたわしのとったうなぎをみんな、川の中に放り込んでしまったのだ、と、さも悔しそうな顔をして作り話をしたのでした
 それが、始まりだったのです。
 十日ほど経って、兵十のおっ母が死にました。村の人は、孝行息子が、たった一人の身寄りのおっ母をなくして、さぞ悲しんでいるにちがいない、と口々に言いました。兵十も、これ以上はないという悲しみの顔を作っていましたが、心のうちは軽かったのです。やっと、いつまでとも知れない看病の苦しみから解放されたのですから。
 でも、おっ母が煙になって空にのぼっていくさまを眺めながら、ぼんやりと、こうも思うのでした。
「ああ、あの時に捕ったうなぎを、面倒くさがらずにおっ母に食べさせてやってもよかったなあ、まさかあれを食べて、病がすっかりなおったということもなかったろうし、こんなにすぐに死んでしまうのだとしたら、あの時、生きてるうちに最後のうなぎを、食べさせてやってもよかったのになあ。あんなに食べたがっていたのだから。そうしたら、ほんの少しでも、生きのばせたかもしれない」

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