小説

『完璧な子供』中杉誠志(『夢十夜・第三夜』)

 武蔵野線か、中央線か、はっきりしないけれども、とにかくJRのどこかの駅のホームで、私は列車を待っている。さほど混雑はしていないが、黄色いラインの真上に立つ私のすぐ前を、たびたび列車がすごい速さで通りすぎていくのが、少し怖い。
 私はひとりではなく、子供の手を引いている。子供は六つになる女の子だが、生まれながらのダウン症児である。健常者の子供とは、顔つきからして、どこか違っている。
 列車はなかなか停まらない。おかしいな、と思いながら、私は電光掲示板を見る。次の列車も通過と書いてある。そのとき私は考えた。次の列車が目の前を通過するとき、自分の子を線路に投げ落としてしまおう、と。子供だけを死なせるわけにはいかないから、自分もむろん飛び込むつもりでいる。
「列車が通過します。ご注意ください」
 その場内アナウンスが流れたとき、私は子供の手をきつく握りしめた。子供は、抵抗しない。抵抗する知能がないのかもしれない。知能がないなら、人間ではないのではないか。人間でないなら、殺しても構わないのではないか。私のなかに、差別的な考えが浮かぶ。この考え方は、けっして倫理的でない。道徳的でない。しかし、この子供を産んだというだけで、親類から、また通りすがりの赤の他人から、私まで障害者扱いされてきた事実を鑑みれば、倫理も道徳も、苦悩を払拭する役に立たないということはよくわかる。すべての人間は差別的であり、それを自覚するかしないかの差しか、おのおの持ち合わせてはいないのだ。自分が差別的であると自覚する人間は露悪者で、自覚しない人間は偽善者である。それだけの話でしかない。
 頭のなかでとりとめもなく考えていると、右のほうから、列車が迫ってくる。
 私は子供を抱きかかえて飛び込むか、それとも放り投げてからあとを追うか、ちょっと迷ったが、確実に死なすため、抱きかかえて一緒に飛び込むほうを選択する。
 が、急に足が石になったように動かない。子供の手を握る感覚さえ、すでになくなってしまっている。子供は、感覚のない私の手をふりほどいて、私を見上げてくる。のっぺりとした顔で、少し微笑みながら。
 それから子供は爪先立ちになり、私の耳元に口を近づけてきて、こう囁く。
「ごめんね、おかあさん。わたし、こんどは、けんじょーしゃに、うまれてくるからね」
 そして子供は、自らの足で線路に飛び込んでいった。雨の日に、長靴で水たまりに飛び込むように、両足を揃えて、ぴょん、と。
 直後に、列車の大きな車体が、私の子供をはね飛ばした。私の子供! 私の子供!
 私は、悲しいような、おそろしいような、ほっとしたような、複雑な気持ちになった。嘆いたらいいのか、笑ったらいいのか、無表情でいるのがいいのか、なにがなんだかわからない。ただ、周囲の人の目が、「おまえが子供を殺した!」といっているかのようで、それが、とてつもなく、怖い。

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