小説

『舌(ZETSU)』不動坊多喜(『王様の耳はロバの耳』)

 母の情事を見つめ、それを記憶した。
 それを夜、この部屋で眠る父に教えた。昨夜私に語ったように……。
 そう言えば、あの頃、母は私の部屋で寝るようになった。不思議に思いながら、うれしかった。だから、風鈴の声は、父だけが聞いたに違いない。
 父は出張に行く振りをして、こっそり戻ってきた? そして、……。
 私は、口の中に溜まった唾液を呑み込んだ。
 意を決して、目を閉じ、眠る。続きが知りたかった。

 嵐の音に紛れて、土を掘る音がする。重い物が引きずられている。土が、被さる音。カチャンと、割れたガラスがゴミ箱に放り込まれる。ちゃっちゃというのは、水のりを刷毛がかき混ぜる音だ。かさかさと、大きな和紙が広げられる。重ね貼りをした襖が、敷居にはめ込まれた。水音がする。雑巾が絞られて、畳が、柱が、縁側が拭かれる。嵐の音は、もうない。代わりに、微かに聞こえる、道路工事のドリルの響き。工事の音が止み、虫の音が聞こえ始める。突然、自動車のエンジン音。母の車だ。行ってしまう。どこへ?

 目を開けて、庭を見る。
(父は、どこに、何を、埋めた?)
 あの夏、埋めたのは池だ。父が育てていた鯉が全部死んで、私はがっかりした。
「誰かが農薬を入れたんだ。嫌がらせだ」
 父の声は静かだった。
「母さんには内緒にしておきなさい」
 感情を抑えた父の言葉。
 母がいなくなる半年前だ。
 もしかすると犯人はあの男で、父はそれも知っていたのかも知れない。
 池を埋めて築山にした。真ん中には楓の木。それを取り囲むような山茶花の生け垣。まるで、墓標だ……。
 湧き上がる疑問に突き動かされ、私は納屋に走った。スコップを持ち出し、楓の根元に突き立てる。
 『楓』は、母の名だ。
 嘘であってくれと願う反面、確信を持って土を掘った。
 やがてカツンと手応えがあり、白い骨が一つ、出てきた。
 しばし、私は佇んだ。
 辺りはもう、薄暗い。
 周囲を伺うが、誰もいない。
 この家は山の中腹に建っている。これより上に民家はない。橋の向こうには二、三軒あるが、今は全て空き家だ。前を通る山越えの道も、ほとんど利用する人はいない。実際、昨日一日、通る車を見なかった。
 静かに埋め戻す。
 途中、ふと思いついて、軒下の風鈴をはずすと穴に放り込んだ。
 スコップで土をならし、明日は家に戻ろうと考えた。片付けなんかどうでも良い。私がいなくなれば、誰もこんな所まで来やしない。

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