小説

『恋捨て山』中杉誠志(『姥捨て山』)

 神経科学の専門家によると、恋とは精神疾患の一種といえるのだそうだ。ある強迫神経症患者と、恋の初期段階にある健康な人間の脳内を調べてみたところ、どちらもセロトニンという神経伝達物質の過剰分泌が起こっていたという。恋の病と昔からいう通り、恋は病なのである。
 もっとも、そんなのはわざわざ科学的に説明されなくてもわかりきっていることだ。恋をすると、苦しいし、つらいし、切ない。夜、真っ暗な部屋のなかでひとりベッドに横たわっていると、まぶたの裏に相手の姿が映し出され、そのたびに不安にさいなまれ、消えてしまいたくなり、思わずぎゅっと枕を抱きしめる。こんな苦痛と異常行動を引き起こすものが、疾患でないわけがない。
 私はいま、恋をしている。平凡な恋ならば苦しみも平凡。しかし私の恋は、叶わぬ恋。禁じられた恋。
 障害が多ければ多いほど、恋は熱く燃えるものだという。でも、この恋は、捨ててしまわなければならない。
 そうして、私は、ある日の帰り道、町外れにある、ある山にやってきた。
 ここはかつて、姥捨て山と呼ばれていた。年老いて役に立たなくなり、存在することさえ許されなくなった老人たちが捨てられていた山。存在することの許されない私の恋心を捨てるには、ちょうどいい。
 整備された山道から逸れ、獣道をしばらく歩いていると、少し開けた場所に出た。大きな一本の木が立っている。その木は、ハンカチノキ。名前の通り、ハンカチのような白い萼が垂れ下がっている。まるで、私の涙を拭う準備をしてくれているかのようだ。私は不思議な縁を感じ、その木の根元に、恋を捨てることにした。正確には、恋を捨てる儀式を始めたのだ。
 懐から、一葉の写真を取り出す。修学旅行のときのものだ。私の恋する相手と一緒に写った、唯一の写真。ほかの生徒も写り込んでいるが、周りがにぎやかなだけに、私とその相手が腕を組んでいるのも自然に見える。相手も同じ写真を肌身離さず持ってくれている、ということを私は知っている。でも、これは所詮許されない恋。許されてはならない恋。捨てるしかない。
 私は持ってきたスコップで木の根元に穴を掘り始めた。この写真を土に埋めてしまおうと思ったのだ。穴は、浅くてはいけない。なにせ山のなかだから、イノシシかなにかが掘り出してしまう可能性がある。だったら、焼くかシュレッダーにかけて捨ててしまえばいいのだが、愛する相手の写った写真をそんなふうにはできなかった。
 穴を掘っているうちに、汗がにじみ出てくる。それが涙のようにポタポタと落ち始めたころ、私は自分の目から涙がこぼれているのに気づいた。恋の痛みから来る涙。ハンカチノキも拭ってはくれない。
 しばらく穴を掘り続け、三、四十センチにはなろうかという深い穴を掘り終えた私は、シャツの袖で汗と涙を拭った。
「……さよなら」
 と、つぶやき、写真のなかで明るい笑顔を見せる相手に、別れのキスをした。
 と、そのとき。

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