小説

『キリコの審判 凶はラッキー』山田密【「20」にまつわる物語】

 小学生の娘と息子を夫に預け、子供を産んで以来初めて一人車上の人となった。高校時代の部活仲間四人と地元である横浜で会う為深夜バスに乗り込んだのだ。深い夜の中をバスは高速道路を乗り継ぎ横浜を目指して走っていた。
 点々と灯りが流れるだけの暗い車窓には窓際に座る私の隣りに同年代の女性が映る。
「どうも、深夜バスは初めてで」
 これから数時間隣同士で過ごす相手に話しかけたが、軽く会釈しただけで言葉を返す事も無く、女性はシートを倒し目を閉じて顔を背けた。いつしかその存在も気にならなくなり、多少興奮していた私は直ぐに眠ることも出来ずにただ窓の外に目を向けていた。
 高校を卒業して以来少なくとも私は誰とも会うことは無かったが、互いに連絡先だけは必ず知らせる。それが四人の固い約束だった。マホ、ミノリ、カナミ、そして、私ヒサコの四人。
 私は結婚し実家を出た時、夫の転勤で引っ越した時、夫の実家の近くに家を建てた時も、私は連絡係りのマホに住所を伝える事を怠らなかった。今回四人揃うのも皆約束を守っていたと云う事だろう。
 集まらないかと云う連絡は今までにも区切りの歳にあったが、二十歳では時期早々だった。三十歳は仕事や出産子育てとそれぞれが余裕がなく叶わなかったが、四十歳になり生活も気持ちにも余裕が出来たのは私だけでは無いと云うこと、どうやら皆あの時の事を冷静に判断出来る時が来たようで集まる運びとなった。
「十年先か二十年先に、きっと皆で誰が何をしたのか、正直に話そう」
 卒業式の日、最後に部室に集まり、私たちは約束した。
 正直、私にはそんな必要はなかったが、敢えて連絡を怠らなかったのは、ただ、友達と云う括りから外れたくなかったからだった。

 女子校の運動部はテニス、バスケは人気もあり大所帯だったが、私たち陸上部は二年が二人、一年は四人。そして、私たち三年が一番多く五人しかいなかった。人数が少ない分関係は濃かったように思う。部活が終れば帰り道コンビニやバーガーショップに寄り道をしたり、部活が休みの日にはカラオケや映画、渋谷、原宿にも遊びに行った。楽しい思い出が沢山ある。キリコが死んだ以外は。
 キリコの死から私たちの関係は一変してしまった。死の原因が私たち陸上部のイジメだと噂が立ったからだったが、私たちが虐めなどするはずがなかった。残されたノートに『ヒサコ、マホ、ミノリ、カナミに会えて、凶はラッキーだよ』とだけあり、名前があっただけで関わりがあると疑われ、私たちは一人ずつ校長室に呼ばれ事情を訊かれた。
 だいたい事故か自殺なのかも定かではない。ノートに書かれた言葉が遺書ではなくただ思いつきの言葉。結局は自殺ではなく事故だったと結論が出たが、私たちの間にはしこりが残ってしまった。いい迷惑。

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