小説

『わがままな人体』紫水晶【「20」にまつわる物語】

 食事して、健人のアパートに寄って、シャワーを浴びて、ベッドイン。
 これが二人のお決まりのコースだ。
「パブロフの犬……」
 天井を見つめながら、健人が呟いた。
「え? 誰の犬だって?」
「いや、パブロフの犬だって」
「パブロフさんの犬?」
「はあ?」
 素っ頓狂な声を上げて、健人は少し身体を持ち上げると、片肘をついて梓の顔を覗き込んだ。
「知らない? パブロフの犬」
「知らなぁい」
「そっか……」
 健人は軽く溜息を吐いた。
 梓とは、大学の仲間と出席した合コンで知り合った。見た目がもろタイプだった為付き合ってはみたものの、どうやら脳ミソが若干頼りないようだ。
 最初はそんなところも可愛いと思った健人だったが、付き合いが長引くにつれ、徐々にそれがストレスとなってくる。なぜなら、健人の会話に梓がついてこられないからである。健人はその度に会話を中断し、語彙の説明から取り掛からなければならない。時には説明の説明も必要で、一向に話が先に進まないこともある。小説みたいにどこかに注釈が出てくれればいいのにと思うこともしばしばだ。
 今がまさにその時だ。
「パブロフの犬ってね……」
 再び枕に頭をつけると、健人は天井に向かって説明を始めた。
「犬に餌を与える時に決まってベルを鳴らすようにしたところ、ついにはベルを鳴らしただけでよだれを垂らすようになったっていう話で……」
「なんでよだれを垂らすわけ?」
「そりゃあ、餌が貰えるから」
「なるほど。それで?」
 また一つ小さく溜息を吐くと、健人は説明を再開した。
「えっと、だから、そういう訓練とか経験とかによって獲得した反射を条件反射って言うんだ。それを発見した人がパブロフさんってわけ」
「へぇ。で、それがどうしたの?」
「だからね、俺はパブロフの犬なんだなって思って」
「え? 意味わかんない」
「だから、梓に会うと条件反射で抱きたくなる」
「ええ? 何それ?」
 再び梓の上に圧し掛かると、健人はそのふっくらとした唇を貪った。
 そうだ。これは条件反射なのだ。何度も同じ行為を繰り返すうちに、健人の身体は梓を見ただけで欲情するようになったのだ。そうでなければ、健人のような理屈人間が、梓なんて相手にするわけがない。
 頭の中で言い訳を繰り返しながら、健人は梓を何度も貫いた。

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