小説

『異虫恋愛譚』中杉誠志(『アリとキリギリス』)

 私はアリ。働きアリ。仕事で疲れて家に帰ると、同棲している彼氏のキリギリスが、ギターをかき鳴らして自作の歌を歌っている。
「キリちゃん、もう夜だよ。近所迷惑になるからやめなよ」
「あ、アリちゃんお帰り」
 キリギリスは悪びれもせず、ギターをケースにしまって、とたとたと私のもとへ駆け寄ってきた。
「今日もお仕事お疲れさま。ゴハンできてるよ。食べる?」
 このキリギリスは、いわゆるヒモである。働きアリ同士の合コンに参加したとき、なぜか男のほうに一匹だけキリギリスがいた。とはいえ、アリのオスは絶対数が少ないから、べつの虫が来るのは珍しくない。キリギリスはなぜか、たいして女として魅力のない私を気に入ったようで、合コンがお開きになってからもふたりで何軒かハシゴし、気づいたときには私の暮らす集合住宅の一室にヒモとなって居座っていた。
 キリギリスはいい年をしてプロのミュージシャンを夢見る自由な虫だ。無論、職には就いていない。追い出そうと思えば追い出せるのだが、こうして食事の支度をしてくれることもあるから、いまのところは飼っている。
 にこにこしながら夕食の蜜団子を食卓に並べるキリギリスに、私は訊いた。
「ねえ、キリちゃん。私が『出てけ』っていったら、どうする?」
 キリギリスは手を止めて、ふり返った。真面目な顔になって、反対に訊いてくる。
「それ、本気?」
「本気だったら、どうする?」
 本気ではないが、まるっきり冗談でもない。いつかは、そういわなければならない日が来るような気がしている。
 キリギリスはちょっと深刻そうな顔で考え、それから軽薄そうな笑みを浮かべた。
「泣いちゃう」
「は?」
「だって僕、アリちゃんがいないと生きていけないもん」
「ふうん……」
 白々しい。どうせ私の部屋から出たら、ほかの女のところにいくだけだろう。しかし、こんな白々しい言葉に胸をときめかせているバカな私がいるのも事実だった。
 なぜなら私は、仕事場では「君の代わりなんていくらでもいるんだ」といつもいわれる。実際働きアリの代わりなんていくらでもいて、過労死しようがアリジゴクに殺されようが、誰にも見向きもされない。冷酷な世界。それがアリの社会だ。
 そんな冷たい社会と比較して考えると、キリギリスの軽薄だが甘い言葉は、ありがたいとすら思えてしまう。キリギリスが物質的な面で私に依存しているように、私は精神的な面でキリギリスに依存している。典型的な共依存。

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