小説

『脇差し半兵衛』中杉誠志(『たがや』)

 花火が上がるたび、たま屋ならぬたが屋の青い顔が照らし出される。かわいそうに、震えてやがる。だからって、やくざの用心棒風情が割って入ろうって気にはならない。
 ただ、背中はうずく。博徒なら、勝負と見てうずくのは壺を振る腕かも知れないが、刀使いは背中がうずく。刀を腕で振るものと思ってるのは、チャンバラごっこや道場剣術しか知らない素人だ。人を骨ごとたたっ斬ろうと思ったら、腕じゃなく、背中で振る。だから、うずくのはいつも背中だ。
 背中で振れば、脇差しでも十分、人は斬れる。そんなおれに、
「おい、大きいのはどうした? 金に困って質屋に出したのか?」
 というような台詞を吐いた連中は、もれなくおれが脇差ししか持たない理由を体で知って、いまはみんな三途の川の向こう岸だ。こんなおれを、脇差し半兵衛と人は呼ぶ。
 幸い、脇差しは今日新調したばかり。前のは借金を踏み倒して逃げようとしたまぬけを斬り殺したときに折れちまった。普段なら、実戦で使う前に、野良犬や野良猫で試し斬りをするもんだが、ここに斬ってもよさそうな人間がいる。
 いやいや、逸るな、早まるな。見とがめられたら、あっちは腐っても一国一城の主、こっちは一宿一飯の流れ者、さらし首は免れない。そりゃあ怖い、くわばわくわばら、と頭のなかでは思いながら、
(斬れ、斬れ)
 と、やっぱり背中はうずいちまう。
「斬れ」
 これをいったのは、しかしおれの背中じゃない。殿様だ。家来のひとりがその命令に従って鯉口を切る。試し斬りもしたことないような新品同然の打ち刀。いや、もしかしたら、抜くのすら今日が初めてじゃないのか? ありがとう、天下泰平。この程度のチャンバラ野郎なら、五人だろうが十人だろうが、脇差しどころか無刀で十分だ。だって、見ろよ。這いつくばってるやつを斬るのに、なんで教本通りの水月――中段に構えるんだ? バカだねえ。しかも全然腰が入ってねえ。刀は木刀じゃないんだぜ、と思わず小言をいってやりたくなるぜ。
 っていうか、おいおい。よく見たら、あの殿様、うちの親父の仇じゃないか?
 地元でちょっとしたお家騒動があったとき、親父は結構いい地位にいて、跡継ぎ問題でこの殿様じゃないべつの人間を次期当主に推した。しかし結局この殿様が跡をついで、対立勢力側にいた人間はみんなお家断絶の憂き目にあった。うちも例外じゃなかったが、例外なのはそのあとだ。親父と一緒に運動していたやつが、やけになって親父を斬り殺した。しかもその首を持って城に行ったら、なんとお手柄だってことでその日のうちにお家の再興が決まった。親父の首がお手柄なら、親父の息子であるおれの首も危ないってことになって、故郷を追われて、いまに至る。江戸までは歩いて出てきた。たまたまやくざに拾われなけりゃ、おれはのたれ死にしていただろう。全部この殿様のせいだ。
 仇討ち。この言葉が頭に浮かんだ瞬間、ドーン! と、どでかい花火が打ち上がった。

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