小説

『陰ーHer shoes』柳井麻衣子(『外套』)

オーダーした靴が仕上がる日である。
そう、ついにその日がきたのである。

こんな高級な靴屋で靴を買うことが出来るとは、安貴にとっては夢にも思わなかったことである。
光って見えた。安貴は宝物を初めて持った。黒く光った立派な革靴である。
「どうですか?」
「ピッタリです。」
「お似合いですよ。」
安貴は大事に大事に持って帰った。

安貴は久しぶりに朝、コーヒーを飲んだ。
久しぶりに時計代わりにTVをつけ、朝のニュースを楽しんだ。
早めにうちを出て、ゆっくり歩いて会社につくと職場の人間から靴についてふれられた。
靴に注目されたことに安貴は舞い上がった。

天にも昇る心地よさである。

何もかも上手くいくような気がした。
人生がそれほど悪いものではないという気になった。
安貴は幸せだったのである。
職場の人間も安貴の立派な靴に感心した。
いつもよりも生き生きした安貴に自然と職場の人間も話しかけたりした。
安貴は今日だけは会社に毎日売りに来るお弁当を買った。

仕事帰りはいつもこの道を通るが今日は足取りも軽く、もっともっと歩いていたい気分で、安貴は普段とは違う道を進み遠回りした。そしていつもよりゆっくりと歩いた。
姿勢を正し、上向き加減で胸を張って歩いたのである。
色々な人が自分の横を通りすがる。
世の中には本当に色々な人がいる。

コンビニを過ぎた辺り。

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