小説

『光は揺れる』長谷川蛍

 人が造り出した道と家とほんのわずかの光と、そこに纏った自然が生む静謐。その二つの融合か、あるいは対照によって、私は初めて『帰ってきた』と思った。忙しない家でもない。欲望が丸出しで、実は私のことなど何も見えていない彼氏の側でもない。寄り添うようにしながら、本当は自分より下の部分を見出して、安心しようとする女たちの側でもない。何か言葉を発するごとに、また何も言わないことそれ自体でも、私という個を何かに分類したがる大人たちの支配下でもない。ここが私にとって『無』で居られる場所なのだ。そう思うと涙が出てきた。
 いつから我慢していたかはわからない。二十歳を超え、大人という枠組みに組み込まれた私は、大人であるために涙は封印しなければならないと考えた。ちゃんとしなければならないと思った。
 でも、そもそもちゃんとするってなんだろうか。
 よく、わからない。
 生きるって何だろうか。
 全然、わからない。
 私が泣いている間、おじさんは何も言わなかった。黙って煙草を吸って、吸い終わった後は空を眺めていた。それだけで退屈しないくらい綺麗な空ではあった。
「おじさん、何で生きてるの?」
「産まれちゃったからかなぁ」
「幸せ?」
「幸せかって考えたらそうじゃない気がするし、反対に自分が不幸せかって考えたら幸せのように感じるね」
「私は死にたい」
「本当に?」
「嘘。本気で死にたいんじゃないんだっていうのは自分でもわかってる。死ぬんじゃなくて、そう思わないくらい幸せになりたいんだよね。でも、どうしたらいいかわからない。勉強して、いい大学入って、ある程度好きなこと探して、就職して、お金もらって。それが幸せ? こうやって疑問に思わなければ幸せだよね。でも私は考えちゃうの。それだと幸せになれないって。なら家庭に求めてみる? おじさん、家族は?」
「妻と娘が二人」
「理想的だね。奥さんのこと愛してる?」
「難しいなぁ。どこから愛っていうのか」
「私もわからない。彼氏はいるけど本当に好きかはわからない。思い込めば愛は増していくし、考えなければ減っていく。そしたら愛も恋も、好きも嫌いも、全部思い込みの問題だよね」
 また涙が出てきた。泣いている自分が情けなくて、歩けない自分が嫌で、逃げているように見えちゃう自分に腹が立って、太ももを思い切りひっぱたいた。思っていたより鈍い音がして、そのまま闇に染み込んでいった。
「こんな悩み贅沢だよね。世の中にはこんなこと考える余裕もない人がいるのに。甘えてるよね。幼い子供みたいだよね」
 私は見知らぬおじさんに何を求めていたのだろう。何甘ったれているんだと喝を入れて欲しかったのか、そんなことないと同情して欲しかったのか。自分でも今話している意味をよく理解していなかった。

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