小説

『チクタク誰かにチクタクと』もりまりこ

 あれから20年経ったクリスマスの日。
 久々それを開けてみた。そろそろ開けると、時間が3時45分ぐらいの所で止まっていた。秒針も57秒あたりで力尽きてる。
 いつの3時54分ぐらいだったんだろう。夕方なのかそれとも夜明け前なのかと思い、なんとなく、朝の訪れの前だった方が好ましいと根拠なく思った。それを眺め見ながら治夢が死んでしまったのかもしれないと、夢想した。

 うるさいぐらいのクリスマスソングを耳にしながら、重たい病気を抱えた小動物を抱えるような感じで、時計屋さんに行って電池交換してもらおうと思ったら、それは電池交換ぐらいじゃ済まないことになっていた。
 止まった時間のまま寺子はバッグの底にそっと入れた。

 こうなってみるとちゃんと生き生きと時間を刻んでいる時計よりも、すべての務めを終えてしずかに声も出さずに黙ってチクタクするのを辞めてしまったこの時計が、ちょっと特別なものに見えてくるから不思議だ。
 みじめな記憶も薄まるようで、死んでしまった時計はやっぱり治夢の形見だと思うことにした。

 帰りのバスの中で、寺子の前に座っている初老の男の人がいた。見るとはなしに見ていたら、その人は黒い折りたたみ傘を丁寧に畳みだした。
 柄を掌で支え、半分にした傘のナイロンのところをきちんと1枚ずつ広げながら少しのゆるみもないようにくるくると絵を廻しながら畳んでゆく。
 職人さんのような指先で、畳み終えた傘は新品のようにぴしゃっとシャキッとしていた。
 寺子がその男の人から目が離せなくなったのは、その手の動きや選び方にとても見覚えがあったからだ。

 寺子が見ていることにも気づかずにその人は無心に傘を畳んでいる。
 この無心さにも見覚えがあった。孫へのプレゼントだろうか赤と緑のクリスマス仕様の紙袋には、いくつかのリボン付きの包み箱が入っていた。
 初老の男の横顔は、すっきりとして健やかに陽に焼けていた。
 銀髪の髪は薄くなく、首筋もしっかりとして、身体も首筋とおなじように筋肉のありようがよくわかった。
 たとえば、初めて人に逢った時、あぁこの人とは何処かで逢ったような気がする、はじめてなのに懐かしいと感じることがある。
 治夢に逢った時、それがはじめての印象だった。

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