小説

『吾輩はブスである』中杉誠志(『吾輩は猫である』)

 反応に困った吾輩は、どもることしかできぬ。なにせ褒められることに慣れておらぬのである。「肌きれい」以外では「手先が器用」「真面目」「おとなしい」くらいの褒め言葉しかかけられたことはない。無論リップサービスなのであろうが、さりとて吾輩など、男の側からすればサービスするに足る女でもあるまい。よもや財布の中身が狙いかと身構えてみたが、体を硬くしてみたところで、胸の内では祭りが始まってふにゃふにゃだ。
「じゃ、とりあえず、場所変えよっか。どこ行く? くろちゃん、お腹すいてない? お酒飲める人だよね?」
「いや、ご飯とかお酒とかどうでもいいんで、さっさとホテルお願いします」というのが本音であったが、まさか二十文字以上の長台詞を流暢にいえるわけもない。
「……おまかせします」
 吾輩がポーチの紐を握りしめてうつむくと、くさめは上からしっとりとした声でいった。
「じゃ、いこっか」
 どこへ連れていかれるやらわかったものではなかったが、吾輩は流れにまかせることにした。待ち合わせ場所に立つ顔面凶器を見た瞬間に回れ右や素通りをされてもおかしくはなく、吾輩がくろちゃんであると明かした瞬間に相手から顔面パンチを叩き込まれても文句はいえぬのに、くさめはなんとも紳士的だ。行き先が食肉加工場でも構わない。男に連れられて街を歩くという、それが当たり前の人間には当たり前の幸せを、吾輩のような種族にとっては奇跡に近いこの幸せを、一瞬でも長く味わっていたかった。

 一軒目は美味しいワインを出すレストラン、二軒目は腹ごなしのカラオケ、三軒目は熱唱で炎症を起こしたのどをアルコール消毒するためにバーに入った。どこへいっても吾輩はブスである。当初は、ブスを連れ歩くくさめがあわれでたまらず、申し訳なくも思っていたが、アルコールが回るうちにその気分は緩和されていった。
 バーを出たとき、くさめが前触れもなく、しかしさりげなく手を握ってきた。
「くろちゃん。好き。もっと一緒にいよ」
 ああ……。
 あああ……。
 ああああ……。
 すまぬ、語彙が消失してしまった。早い話が、「そろそろ終電だけど、ホテルいってセックスしよう」ということなのだろうが、露骨でなく甘く香らせる男の技に、吾輩はもう、その、たまらぬ。
「……はい。お願いします」
 こうして、四軒目にしてようやく、本来の目的地にいくことになった。

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