小説

『イート・インラプソディー』もりまりこ

 すっごくきれいな瞳をしたひとを見たっていうからそれはてっきり、女の人かと思ってたら、犬の目だったんだってカイが言う。
「それがあの森の話だぜ」って、興奮してる。
 あの森っていうのは、ふたりで散歩していて思いがけなくみつけたバス停一駅分ぐらい離れた場所にある鬱蒼とした<森の公園>のことだった。

 カイといっしょにある日その森を訪れた。
 ありとあらゆるものから遮断されたくなると、そこに出かける。
「あの日、紅と歩いていたらお前が道に迷っただろう。迷うのも無理ないけどさ。もともと迷路だから。あの時、あ、森の中に女の人がいると思って、一度目をそらしたんだけど、あんまりきれいな目をしていたから、もう一度見てやろうって思って、見たら、それは女の人なんかじゃなくて犬の目だった」

 それ犬じゃなくて、オオカミだよ。つまりあたしだよって言いそうになって、口をつぐむ。

 ときどき、土がにじむ。高速を照らすヘッドライトの灯りが濡れた土の上で、ジェリービーンズみたいに、鈍い光を集める。
 意外と土ってもろいんんだって、あたしは思う。しゃがんだままゆるむ。あたたかいおしっこが土の上を這っていた蟻のからだに注がれて、溺れる。
 スカートを捲り上げた裸のお尻に草が時々触れて、誰かが爪の先でゆるゆると皮膚の上を撫で上げているときにとても似ていた。
 穿たれた土のちいさい穴に、黒い頭がお尻をこっちに見せてる蟻2匹が、なんどもなんどもヘッドライトの灯りを浴びて、一瞬光った。
 あたたかいものがぜんぶ、そっちへ流れていってきょういちにちのいろんなことをぜんぶ失ったみたいな気分になる。
 森を訪れると、ときどき迷ったふりをしてあたしは森の奥へ奥へと突き進む。
 そこでしゃがんで用を足す。
 高速を走る車のエンジンの音にまぎれて、声。カイがあたしを呼ぶ声。
 しゃがむと記憶がうっすらと輪郭をもちはじめる。

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