小説

『銀の鱗と蝋燭と』もりまりこ(『赤い蝋燭と人魚』『浦島太郎』)

 わたしが絵を描いていることをどうして知らない誰かが、知っているんだろうと一瞬思ったけれど、その一方で描いている時のあの幸福感を知っていたので、太郎がその話を受け入れてほしいとつよく願ってもいた。
「おるふぁん、どう? 試しにやってみる? うまくいけば、おるふぁんのろうそくがね、お店に並ぶんだって」
 太郎はおるふぁんが絵を描くのが好きなことを知って、数少ない漁師仲間の友達に、どこかで絵を描かせてくれるところないかなって? 訊いたことを思い出した。誰かの口から口へと伝わって、こうやって仕事が舞い込んだことを正直、太郎はありがたがっていた。
 実のところ太郎の稼ぎは、ふたりでの暮らしがやっとだったから、もし、おるふぁんが、ささやかでも稼ぎ手のひとりになってくれるなら、今よりは生活が楽になれそうな気がしていたのだ。

 太郎はあの<竜宮城>の一件以来、なかば人を信じることができなくなっていたからほかの仕事をしようにも人間関係が滞りがちだった。<竜宮城>に足を踏み入れてからというもの、なにかの歯車ががちがちと音を立てて崩れてゆく気がしていた。そんな時に出会ったのが、おるふぁんだった。
 おるふぁんは、頭はよわいけど、こころはやわらかだった。
 そして顔もちょっと好みだった。大きな目とちょうどいいくちびると。声も穏やかで。無邪気な顔と相反しておとなびていたからだはなおさら好みだった。それよりなにより人間じゃないところが一番気に入ったのかもしれない。
 ひとのこころを程よく持ち合わせた人魚なんて、もしかしたら、俺はラッキーな男なんかじゃないか。あの<竜宮城>事件を気の毒に思ってくれたかみさまが、突如として歯車を逆戻りさせてなにか人間らしい生活を取り戻してくれているんじゃないかという思いに、駆られた。
 現実問題、世の中のみんながあたりまえに水道や電気や電話などの公共料金を払って暮らしていることを思うと、めまいがしそうになることもあったから、おるふぁんの思いがけないロウソクアーチストへの一歩は渡りに船だったのだ。

 わたしはロウソクに絵を描くという行為が好きになった。
 ロウソクをちいさなナイフで削りながら、そこに色を流し込んでゆく。
 モチーフは海で出会った生き物たちだ。たとえば巻貝の<ちまきぼら>。その成り立ちが貝殻っていうよりも、ひとつの建物のように見えてくるから海の中では一目置かれていたのだ。その貝のからだの外側のマット感と、遊びをひかえたらせんの形がまるで建造物に見えてくる生き物の不思議。
 描いているだけでらせんに酔ってしまいそうになる。
 うずまきの形に包まれていると、海の底に抱かれているような安心感がある。<ちまきぼら>の絵をロウソクにつけると、早速太郎が<凪街キャンドルショップ>へと搬入してくれた。

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