小説

『銀の鱗と蝋燭と』もりまりこ(『赤い蝋燭と人魚』『浦島太郎』)

 太郎はおそるおそるその箱に近づいた。箱の形をしたものをみるだけで、あの<玉手箱>というものを思い出すらしい。トラウマというやっかいな人間特有の症状らしかった。わたしは項垂れている太郎に訊ねてみる。
「玉手箱じゃなかったら?」
「だって、こんな名前の会社しらないもん。ぜったい怪しいって」
「なんて書いてあるの?」
「凪街キャンドルショップ」と読み上げた後、いつの日かと同じ右手で左腕をさする仕草をした。なにかを後悔している時の例の仕草。
「箱を開けたら、煙がまたぶわっとなるからいやなの?」
「誰でも年を取りたくないだろう。おるふぁんは今若いからわからないだろうけどね、人間はいつだって年齢に抗うようにできてるんだよ」
 あらがうがなにのことかよくわからなかったけど、わたしは煙ぶわっていうのもなんだか面白そうって、ほんとうのところは思ってた。
「でもさ、太郎はいまはあの時とちがってひとりじゃないんだよ。わたしもいるんだから、いっしょに煙ぶわっていうの浴びてあげる。わたしも白髪になってあげるから、箱開けてみようよ」
 ふたりでせーので開けることにした。
 深呼吸をして、目をつむって。太郎は手探りで箱の継ぎ目を探してふたを開けた。ふたりの間に天使が通ったみたいな静かな一瞬がやってきたけど、箱を開けても煙なんかひとつもでてこなかった。
「俺の髪の毛抜けたりしてない? すっごいじいさんになってない?」
 狼狽える太郎の頭のてっぺんに手を置くと、わたしは「だいじょうぶ、いつもの太郎だよ」とそっと云った。
 太郎は疑り深く「俺に気を遣ってねぇ?」って涙目で訴えるので、ぎゅっと抱きしめてあげた。そのときわたしの下半身の鱗がきゅっと音を立てた。
 安心した太郎が箱の中を覗くと、1本だけロウソクが入っていた。
 そして手書きの手紙も添えられていた。
「なんて?」
 煙が出てこなかったことに安堵して、太郎の顔に血の気が戻っていた。
「おるふぁん、これお前に関係ありそうだよ」
 どういうことかわからなくて、首と腰をひねりながらベンチに腰掛けるとゆっくり太郎が話す声を耳に入れた。
「凪街にあるロウソク屋さんからだった。このロウソクの白いところにね、おるふぁんの絵を描いて欲しいんだって」

1 2 3 4 5 6 7 8 9