小説

『楽園』西橋京佑(『桃太郎』)

「で、こっからどうするわけ?」
 猿はいつも冷静で、僕の逆をいく。進軍よろしくズンズンいっている時には休むことを語り、休んでいる時には進むことを語る。なんたる天邪鬼。
 僕は残りのコーラを一気に飲み干したところだったから、ゲップが出るのを我慢するのに精一杯だった。
「桃井くん、ほんとにコーラ好きだね」
 持ってきたのは俺ですけど、みたいな顔をして喋る酉飼のドヤ顔がウザくて、思わず舌を打ってしまった。
「どうもこうも、鬼ヶ島地区に入るんだよ」
「入るったって…どうやって行くか分かるの?」
 知るわけないじゃん、とは言えない。
「ここまで来たんだから、あとはやるしかないだろう?」
 とだけ、僕は犬山に同意させようと「なあ」と話しかけた。
 日の向きが変わってきて、日陰がなくなるにつれて汗が滴り落ちて来た。こんなにも暑いのに、蝉の声すら聞こえない夏は今までに経験したことがない。少しだけ、ここまで来たことを後悔し始めている自分がいた。
「酉飼、どこらへんまで買いに行った?なんか変わったところなかった?」
 だめだ、前に進むことを考えないと潰れてしまう。とにかく、何かこの状況を打破できるものを探したかった。
「ここから、たぶん10分くらい行ったところだと思うけど。でかい壁があった」
「でかい壁?壁ってどんなの?」
「だから、でかい壁。向こう側は見えないくらい。ビルの高さぐらいあった気がする」
 喋るのが遅すぎることも相まって、酉飼が一言喋るたびにゾッとした。「ああ、それだあ」と、知らない間に情けない声が漏れていた。
「ええええ!嘘でしょ、なにその声。全然勢い無くなっちゃってんじゃん!」
 びびり顔で犬山が笑った。当たり前だ、怖い。嘘だと思ってたけど、本当にあったんだ。
「そこだよ、鬼ヶ島地区。こんな下町に、本当に犯罪者の”楽園”があったんだ」
「うわああああああ、やべえな!」
 犬山がすごい顔で叫んだ。たぶん、僕も同じ顔をしていた。
「”楽園”かどうかはわかんないけど、本当にあったのか」
 こわっと、柄にもなく猿渡も青ざめている。酉飼だけは何のことかわかっていないみたいで、ぐびぐびとお茶を飲んでいた。

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