小説

『タイムマシン エピローグ2』川路真広(『タイムマシン』)

「あの男のところへぼくを連れて行き、紹介してくれたのは、君だったはずだが」とフィルビーは言った。そんなはずはなかった。私の記憶ではまったく逆で、フィルビーが私を彼に紹介したのであった。
 編集者は、最初にどこで「時間旅行者」と出会ったのか、記憶がひどくあいまいだと言った。「そう言われれば、どこで彼を知ったのだろう。当時の手帳を引っ張り出せば何かメモがみつかるかもしれないが、すべての出来事を手帳に書いておいたわけではないのでね」
 心理学者は、自分の忘却をなかなか認めたがらない様子だった。「彼とは、たしかある研究会で会ったのが最初だったと思うね。ほら、彼は光学の研究をしていただろう。私は色彩の心理的効果や、眼の錯覚を生じさせる光のいたずらに関心があった。そのことに関して、彼の意見を求めたのだ」と心理学者は言った。
「その研究会というのはいつ、どこでのことでしょう」と私は尋ねた。すると心理学者は困った顔つきになった。「さあて、あれは、いや待てよ、研究会だかのあとの夕食の席で、彼と偶然隣り合ったのだったかな。最初は軽く酒が入った会話だったと思うね。いずれにせよ、彼のような手品師というものは、姿をあらわすのだって消すのだって、さりげなくやれるものなんだろう」
 要するに心理学者も「時間旅行者」との最初の出会いをはっきりとは記憶していないということだ。
 じつに不思議なことだった。私たちの誰もが、どのようにして「時間旅行者」と知り合ったのか、どんなきっかけでリッチモンドの彼の家に出入りするようになったのか、明確な記憶をもっていないのである。彼はどこから私たちのあいだにやって来たのか。そもそも彼は何者だったのか。
 私は、彼が失踪したあとも、何回かあの家を訪ねて行った。ひょっとすると「時間旅行者」が帰って来ていて、何食わぬ顔で「タイムマシン」に油をさしていたりするのではないか、と思ったからだ。しかし家は扉を閉ざし、人気なく静まり返っていた。召使がいたはずだが、呼び鈴を鳴らしても誰も出ては来なかった。私は近くの家から出て来た婦人を呼び止め、何か知っていないか訊いてみた。
「この家に半年ほど前まで住んでいた、××氏のことで少しお伺いしたいのですが」
「ここには長いこと誰も住んでいませんわ」と婦人は答えた。
「長いことって、いつごろからです?」
「そうね、少なくとも三年は」
 彼が姿を消してから、まだ半年しかたっていなかった。私は化かされたような気がした。
「では、この家は貸家なのでしょうか。誰が管理しているか、ご存知ですか」
「あいにくと、存じませんわ」
 私はもはやそれ以上、「時間旅行者」について誰からも新たな情報を聞くことができなかった。彼は忽然と私たちの前から姿を消し、しかも彼がいつどこから私たちの(それなりに狭い)世界にやって来たのか、何をして暮らしを立てていたのかなど、一切が不確かなままだった。しかし彼は幻であったのではない。たしかに存在していたのだ。

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