小説

『がらがらぽんの日』伊藤なむあひ(『オズの魔法使い』『トカトントン』)

 はじめて叔父の家に泊まった日、僕と叔父はほとんど会話をしなかった。お風呂沸いたよ、とか、ご飯できたよ、という叔父の言葉に、うん、だとか、はい、だとかの返事をした程度だった。叔父はずっと小屋の隅にある机に座ってなにやら仕事をしているようだったし、僕は僕で持ってきたゲームボーイばかりしていた。言い訳をさせてもらうなら、家では一日三十分までだったゲームボーイを、ここなら好きなだけできたのだ。最初に感じた違和感も、会話しなければ特に気にならないことが分かった。
 帰り際、叔父はなぜだか僕に「また来なさい」と言ってくれた。ゲームしかしていなかった僕は、何故叔父がそう言ってくれたのか不思議だった。
 それから僕は、月に二度くらい叔父の家に泊まりに行くようになった。父と母も僕と叔父が仲良くなったのだろうと喜んでいたが、僕にとっては一日中ゲームができる貴重な場所だったのだ。叔父は相変わらず机に向かってなにかやっていたが、それが仕事なのかどうかは分からなかった。
 泊まりに行くようになって何ヶ月かしたとき、僕は何の気なしに叔父に訊いた。叔父さんは何の仕事をしてるの、と。叔父は顔だけあげ、僕の方は見ずに言った。なにもしてないよ。じゃあなんで暮らしていけてるの? 叔父はゆっくりとこちらを向き、おどけるように、僕は魔法使いだからね、働く必要なんてないんだ、と笑った。やっぱり、と僕は思った。
 小学生だった僕はやがて中学生になり高校生になった。ゲームは一日三十分でなくなったが、それでもゲームをやるときはなんとなく叔父の家に行っていた。これくらいになると、叔父は魔法使いなんかではなくただの無職であることを理解していた。ただ、やっぱり生活するお金がどこから出ているのかは分からなかった。
 じゃあ、いくよ。うん。
 叔父が酔ったのを一度だけ見たことがある。何があったのかは知らないが、ドアを開けるとウイスキーの瓶を握りしめ机に突っ伏している叔父の姿があった。確かに行くなんて伝えてなかったがそんな叔父を見るのは初めてで驚いた記憶がある。僕に気が付いた叔父は真顔で僕を見て、そしてゆっくりとそれを笑顔に変えていった。僕はさ、魔法使いなんだ。前にも聞いたよ。でさ、(酒臭いな)魔法、ひとつだけしか使えないんだ。(はいはい)どんな魔法? 世界を滅ぼす魔法。僕はもう介抱というか、付き合ってあげているという気分で叔父の話を聞いていたがその言葉だけは妙に記憶に残っていた。そして今日、ここに来たのだ。世界を滅ぼしてほしい、そう叔父に伝えに。
 みんなに挨拶したかい? いや。家族にも? うん。まあいいか。風が更に強くなって、飛んできた何かがこの家の壁を激しく叩いた。嫌いな奴はいるよね。憎い奴も。何もかも知っているような叔父の言葉に動揺しながら、素直に、うん、と答えた。じゃあ好きな子とかいないの? 僕は何も答えない。心の中でだけ挨拶しなよ、もうみんななくなるんだから。僕はどこまで本気で叔父のところに来たのだろう。ばいばい、とだけ小さく呟いた。

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