小説

『銀三匁』石川哲也(『かちかち山』)

「あまりにもおいしすぎて食べ過ぎてしまいました。今度は私からもご馳走させてください。土産においしい酒を持ってきました。さあどうぞ。奥様も是非」
 酒を飲む機会など、年に一度あるかないかの貧村である。酒のうまさを知ってはいるが、飲みなれていない夫婦は、若者に勧められるがまま杯を重ねて、そのまま寝入ってしまった。
「旦那が娘のもとへ行ってしまったら、ひとり残された女房が寂しがるだろうからな。あの世で三人仲良く暮らすがいいさ」
 新助はふたりを縛り、佐吉が背負っていた薪を周りにならべ、火をつけた。
天を焦がすほどの炎を、一町ほど離れたところから新助が見つめる。異変に気づいた村人がばらばらと集まり、懸命に火を消そうとする。若者は、余計なことをしやがると小声で毒づきながらも、客人として何もしないのは不自然に思われると考え、形ばかりの手伝いをすることにした。
水桶を運ぶ途中で転ぶ。燃え尽きた柱に水をかける。わあわあ騒ぎながら、腹の奥底ではもっと燃えろと叫ぶ。村人たちの中から「もうだめだ」という諦めの声が出ると、若者はぶるぶる震えながら両手で顔を覆った。泣いていたのではない、笑いがこみ上げてくるのを押し隠すのに懸命だったのだ。
 しかし、悪しき笑みは長続きしなかった。
 新助は、頬にぽつりと雫が垂れるのを感じた。瞬く間にざあざあと雨が降り始めた。村人たちの、ささやかな努力とは比べ物にならない、滝のような水の束が地獄の業火を鎮めた。天の助けに勢いを得た村人たちは、焦げて黒ずみ、今にも崩れ落ちそうな家屋に駆け込んだ。
「佐吉、助けに来たぞ」「気をつけろ! 梁が落ちそうだ」
 むっとする蒸気が身体にまとわりつき、肉を焦がす嫌な臭いが鼻をつく。「ひとりはまだ息があるぞ」という声と共に、村人たちが板切れに人を乗せて運び出す。予期せぬ展開に、新助も驚き、駆け寄る。生きているのが女ではなく男だと分かり、若者は落胆の気持ちを必死で隠した。
 翌日から、新助は佐吉を懸命に看病するふりをした。
 若者の献身的な態度に村人たちは感心したが、新助が佐吉とふたりきりになることはなかった。村人たちが若者のことを疑ったわけではない。ひとり娘を失い、女房も亡くした佐吉を、隣人たちは深く同情し、代わる代わるそばに寄り添っていたのだ。むしろ、あまり根をつめすぎるなと、新助を諭すほどだった。新助が、看病は自分に任せて村人たちは山の仕事に戻るようにと言っても、かえって若者のことを褒めるばかりだった。
「佐吉はよい友人をもったのう」「これからも、やつのことを頼むぞ」
 佐吉と同じくらいに、村の皆がお人好しだったので、新助は余計苛立った。

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