小説

『瓶詰ノ世界』北村灰色(『瓶詰地獄』)

――五本が十本に視えるかのように震える手指、何も喋っていないのにナニカヲシャベッテイルカノヨウニ震える唇、水に浸けた煙草、雨にうたれたままライターをつけようとし続ける穴のあいたコートを着た彼、雨に歌えば白衣とサイレンが真っ赤なセーラー服の彼女を連行する、黄疸したまま渡る横断歩道の記録、赤信号の失血死、青信号の内出血、黄色信号の狂乱、嘘にくたびれて割れた瓶が世界に突き刺さり全てが出血多量で終末を迎えたいつものバッドエンドの夢、世界が硝子になって真実しか映さなくなったいつかのハッピーエンドの夢、クレジットに私の名前しかない不協和音のオープニングテーマの夢――

――そう、飲まなければ始まらない、呑まなければやっていられない。冒険の、物語の始まりはどんな英雄も孤独なのだ。嘘も本当も、夢も現実も、酒の海に飛び込んでしまえば、全ては曖昧に溺れてしまうはずさ。
 震えが収まらない右手の指先で透き通った焼酎の瓶を掴み、これまた震えたままの左手で支えたグラスに注ごうとする。その瞬間、ブラウン管の無機質なモノクロノイズが一転して、「アハハハハ イヒヒヒヒ ウフフフフ」という酷く有機質且つ不気味な笑い声を大音量で流し始める。それと同時に、今まで無言だったプリン頭の店員と、唐辛子頭の店員も口が無いにもかかわらず、どこからか甲高い声で「オホホホホ」と笑い声を上げ始めた。
 自らの震動、それに突然の出来事に動揺し、私はグラスと瓶をカウンターから落としてしまった。厭に明るいタイル床の上、バラバラになった硝子の死骸。真二つに割れ、透明な血を流す焼酎(年齢不詳)の死体。
 そして、彼らが転落した際に発した断末魔に、ブラウン管は押し黙り、プリンと唐辛子も再び無言になって、私を凝視している。
 テーブルの上のホッピー瓶のナカ、「どうして私を瓶詰の地獄に封じ込めたままなのか!私を酒に溺れさせてくれ!」と、白と黒のワタシが瓶の壁を叩きながら嘆いている声が聞える。さらに、「あたし達を瓶詰の天国から出さないでくれてありがとう。焼酎より割り物の方が美味しいからね」と、白と黒の天使と赤マントの少年、マスクの少女が瓶の壁際でほくそ笑んでいる。
 再びカウンター越しを見上げると、二人の店員はやはり私を見つめ続けている。プリン頭は瓶入りサイダーを、唐辛子頭は瓶のオレンジ・ジュースを飲みながら。
 よく見ると、それぞれの瓶に私のような(私)のようなワタシのような姿の「わたし」が入っていて、液体と共に頭から呑み込まれてゆく。
 その光景に思わず目を伏せる。潔癖症な床の上、透明なまま美しい死体となった焼酎瓶と、雨後の水溜りのようになった内溶液。その透き通った空間に、朧げに映っていた私の姿は、頭から徐々に消えていって、やがて見えなくなった。
 私の姿が消えると、私も誰も出血していないにも関わらす、フロアや硝子片、それに焼酎の液が赤黒く滲み、惨劇の後のように色づき始めた。それと共に、段々と眩しすぎる白い光に包まれてゆく店内。
 世界の終わりのような白の眩さに飲み込まれる刹那、ホッピーの住人達が「さよなら」と手を振り、割れた焼酎とグラスが粉末状に変換されてゆく。そして、私の上げる酒に嗄れた声の悲鳴、プリンと唐辛子が放つゲップの濁った音が交りあい、誰にも呑まれることのない、歪なカクテルが創りあげられたような、そんな気がした――

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