小説

『瓶詰ノ世界』北村灰色(『瓶詰地獄』)

 救いのない言葉、救いのない天使、救われなかった私。ほら、そうこうしている内にカーブミラーがひび割れ、少女Aがバタフライナイフをかざし、少年Bが私たちの逢瀬を赤マントで覆い隠す。
 天使と(私)の傍観、少年の無邪気、少女の狂気、絡み合う静脈や動脈のような情念は、私に苦悶を与え、(私)に笑みをもたらした。そのワンシーンに、訪れた夜も目覚めの煙草をふかすことすら忘れてしまう。
――残されたマーマレード・ジャムの血だまり、転がるオレンジ・ジュースの瓶の変死体に影はなく、裸の天使が煙草に火をつける。そして、夜の深い闇によって、少年と少女は大人になり、黒い(私)も闇に溶けて行方不明になってしまった。
 光も無い、誰も居なくなった此処で歩みを止めざるを得ず、痛みに倒れ伏す私を、見えない黒蟻と黒揚羽の触覚が永遠に愛撫しているような――

 
・第四の瓶

 
 モノクローム、メトロノームが永遠に鳴り響くだけの居酒屋。目線の上に備え付けられたブラウン管は放送終了後のような白黒の砂嵐を垂れ流しており、目線の下のメニューには「ホッピーセット 白黒各400円 ナカ 200円 ソト 200円」とだけ書かれていた。
 おつまみや他のお酒はあるのだろうか? 気になって店員に尋ねてみようと思ったが、店員の内一人は女性の身体に艶やかで甘そうなプリンが頭部の代りに乗っていて、もう一人は女性の身体に見るからに辛そうで新鮮そうな赤唐辛子が一本、首から先についていて、何となく気が引けた。余計なことを聞いて、整ったプリンからカラメルソースを垂らさせるのは申し訳ないし、赤唐辛子が青唐辛子に変色してしまったら大変だもの。
 そう、郷に入れば郷に従え、或いは無言の彼女ら二人の織り成す甘辛の視界のコントラストがツマミなのかもしれない。いつか観たピカデリーサーカスのように、いつか観た新宿の無軌道なポールダンスのように。
 ホッピーのナカとソト、白と黒の二種類を頼むと、カウンターに置かれた瓶の中で何かが蠢く姿が見えた。
 目を凝らして視ると、白ホッピーの中では、純白の天使達と土気色の(私のような)人物が自らの頸動脈を切り裂いており、黒ホッピーの中では黒衣の天使と真っ赤な肌の少年少女が、(私のような)人物の死体とワルツを踊っている。
 白い泡に包まれて血を流す私かもしれない人、黒い泡にくるまれて操り人形のように踊る私かもしれない人は瓶内に混入された異物のようだった。一方、水死体となった天使達や、黒く染まった天使、そして紅く染まった少年少女は、歪なアクアリウムに閉じ込められた金魚のように、何処か美しく可憐で、何一つ違和感が無かった。
 然し、私はワタシが入った割り物を用いた酒を飲めるのか?美しい天使が迷い込んだ、無邪気な少年少女が彷徨うホッピーの水槽を決壊させて……迷い、躊躇い、心の一回休み、三コマ戻って煙草に火をつける。燃える白線、揺らぐ炎――

1 2 3 4 5 6