小説

『瓶詰ノ世界』北村灰色(『瓶詰地獄』)

 恐らく、砂糖の甘い匂いに引き寄せられた蟻なのだろう。外の世界では子供にも淘汰される、弱者であった蟻。しかし、小さくなった私や天使達にとっては巨大な存在であり、恐るべき存在である。
 槍を手にした天使達は果敢に立ち向かう。だが、その強靭な顎や歯の前に次々と噛み切られ、食い殺されていく。やがて欲望のままに瓶内に侵入し、水中で惨めに溺れ始めるが、中々溺死せず、もがきながらも天使達を殺害している。悲鳴に重なる悲鳴、そしてようやく息絶える黒蟻。
 透き通った透明は深紅に染まり、殺された天使の白い破片や、蟻の黒い肉片が濁った水の中で揺れている。生き残った僅かな彼女達も手や足を欠損しており、絶望的な表情を浮かべていた。
「あなたに刺した針は痛みを失くすものなの。私たちは此処で生きるのが辛いから死ぬけれど、あなたも死にたくなったらこれを使って。痛みも苦しさもないから」
 生き残った天使の一人がそう囁くと、持っていた白い槍を私に手渡した。
 水の中の真っ赤な世界。外の世界の夕暮れの赤。此処も汚れと死に染まってしまった。かつていた場所と同じ、不条理に残酷に。
 私は渡された槍をジッと視ている。息が苦しくなった水の中で、濁りきってしまった瓶の世界で……。

 
・第三の瓶

 
 砂漠を彷徨う流浪の民のように、糖度と永久凍土に充たされた、オレンジ・シャーベット状の大地を裸足で歩く。幾つもの橙色の鋭く冷たい切っ先が、足元で起立していて、私の足裏に山茶花を咲かせる。
 切り替わらないスクリーン、永遠に続くエンドロールのようなこの世界。
 白熱灯の如く無機質に輝く太陽と、雲ひとつないコバルトブルーの空。あちこちで散見される、無表情のアプリコット・ジャムの水溜り、緑からはぐれた冷凍ライチの孤児が、私の血を啜って笑顔と生気を取り戻しているかのような、そんな気すらした。
 流れる血、すべてが白日の下に晒された此処。太陽が眩しすぎるから、誰かの理由なき殺人の現場を、理由も無く携帯で撮影する人々の風景。彼らにとって他人の不幸や傷は蜜のように甘美であると、そして私にとっては「ただ太陽が眩しすぎるから、目を逸らしていた」いつかの光景をふと思い出す。
 そして、パレットに零す淡紅の水彩、その色彩と、絶対零度に碧く染まった私の跡をつける、真っ黒に塗りつぶされた(私)。
私には影があるけれど、(私)には影がない。(私)は決して距離を縮めることはなく、かといって離れることもない、ストーカーのような距離感を保ちながら私をつける。

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