小説

『人魚とダンス』戸田鳥(『人魚姫』)

 刺身と煮物の夕食を、人魚はぺろりとたいらげた。牛肉の佃煮は口に合わなかったらしく、ちょっと舐めただけでもう手を付けなかった。客室に案内すると布団の感触に感動して、上に乗ったり寝転がったりを何度も繰り返す。大きな猫のようだ。
「それで、明日どうしますか。踊りたいって言ってましたよね」
 僕の言葉に人魚は眼を輝かせた。白っぽい瞳は、人間になって少し暗くなったようだった。
「踊るなら靴が欲しいわね。綺麗な靴」
 買えとせがまれているのだろうか。
「お金ってものが必要なことぐらい知ってるわよ」
 人魚はいきなりシャツをまくりあげると、僕が目をそらす間もなく、胸の下の穴から丸めた紙幣を引っ張り出した。そして体を揺すると、その穴から音を立てて小銭が落ちてきた。皺だらけの札は、伊藤博文などの古い札も混じっていたが、全部で一万円以上あった。これもおそらく土左衛門からの獲物なのだろう。
「じゃあ靴屋にいきましょうか。学校も休みですから車出しますよ」
 人魚は頷くと、金をまた胸の穴に入れようとするので、
「そんなとこにしまわないでくださいよ。使ってない財布、あげますから」
 僕は思わずため息をついた。

 朝になって洗面所に行くと、人魚が洗面台で髪を濡らしているところだった。
「乾いた髪って気持ち悪い。パリパリに干上がったみたいよ」
 服もびしょびしょに濡らしていたので着替えをさせ、髪から水がしたたるまま客用のサンダルを履かせて、民宿の名が入ったワゴン車に乗った。人魚は初めての車に不安げだったが、僕は僕で免許をとったばかりなので、二人とも緊張で黙ったまま商店街へと向かった。人魚は車に酔ったらしく、しばらくは不機嫌だったが、靴屋に入ると元気を取り戻した。上のほうの棚に真っ赤な十センチヒールを見つけ、店員に履かせてもらう。靴に両足を収めた人魚が笑顔で立ち上がると、ぐらりとバランスを崩してのけぞり、椅子に尻もちをついた。思わずぷっと吹き出すと、人魚が憎らしげに睨んだ。
 よく考えたら、昨日初めて歩いたばかりの彼女が、二日目でハイヒールなど履きこなせるはずはないのだった。それでも人魚はめげずにあれこれ試し履きして、最後にベージュ色のパンプスを選んだ。光沢のあるエナメルに大きな飾りがついていて、その丸い飾りはステンドガラスのように色が散りばめられている。オパールにも、人魚の瞳にも似ていた。
「色白でいらっしゃるから、よくお似合いね」
 店員の言葉通り、その靴は人魚の足によく似合っていた。値段を聞くと人魚の所持金より高かったが、足りない分くらいは僕の財布にあった。

1 2 3 4 5 6 7 8 9