小説

『子捨て山』中杉誠志(『姥捨て山』)

 赤ちゃんが、泣きわめいています。
 ワンワン、アーアー、小さな体からしぼり出される、力いっぱいの大きな声が、夜の住宅街に、うるさく響き渡ります。
 そんな赤ちゃんを腕に抱いているのは、若いお母さんです。あんまり夜泣きがひどいので、赤ちゃんを抱いて外に出てきたはいいものの、よしよしと撫でてあげても、トントンと背中をやさしく叩いてあげても、いっこうに泣き止んでくれません。
「どうして泣き止んでくれないの……」
 しまいには、若いお母さんまで泣きたくなってしまいました。泣き止んでくれないと、ふすまみたいな壁で仕切られただけの、安い賃貸アパートの部屋には、帰ることができません。ただでさえ、いつも隣人たちから、壁を叩かれたり、「うるせえよ!」「出てけ!」「もうみんな寝てんだよ!」などと、怒鳴られたりしているのです。
 この若いお母さんには、旦那さんがありません。旦那さんもいないのに、両親の反対を押しきって赤ちゃんを産んだため、いまさら両親に頼るわけにもいきません。守ってくれる人も、頼れる人もなく、それどころか、居場所すらどこにもないのです。
 そうして、この若いお母さんは、赤ちゃんを抱いたまま、どこまでも、どこまでも歩いていきました。歩いているうちに、夜はずんずん深くなり、あたりはどんどん暗くなり、家はだんだんまばらになっていきます。
 ふと気がつくと、若いお母さんは、暗い山道を歩いていました。ずいぶん遠くまで歩いてきてしまったようです。赤ちゃんも、泣き続けに泣き続け、すっかり泣きつかれてしまったようで、いまは静かにしています。赤ちゃんが泣き止んでくれたのですから、もう家に引き返してもいいのですが、なぜだか若いお母さんは、そのままずーっと、山のなかへ入っていきました。月明かりだけがほのかに白く照らす、深い深い山のなかへ。
 その山は、古くは姥捨て山といって、年老いて役に立たなくなった老人たちを捨てるための山でした。捨てなければ罰せられるという決まりがあったので、昔の人はみな、役に立たなくなった老人たちをそこに捨てていくしかなかったのです。いまではだいぶ開発が進んで、近くに立派な道路が通っていますが、その道路だって、めったに車は通りません。いわゆる、ムダな道路ってやつです。つまり、あたりにひとけはありません。
 そこで若いお母さんは、この山に赤ちゃんを捨てて帰ろうと思いました。そう思って暗闇に目を凝らすと、一本の大きな木が立っています。それは、柿の木でした。さらに都合のいいとこに、木の根元には、子供一人が楽に隠れられそうな大きなウロが、口を開けています。若いお母さんは誘われるようにそこへ近寄ると、しゃがみこんで、赤ちゃんをそのウロのなかに寝かせました。ずっと赤ちゃんを抱いていた腕は、すっかりパンパンに張っていましたが、それもこれで最後だと思うと、若いお母さんは、どこかすっきりした気分になりました。
 反対に、いきなりベッドでもない場所に寝かされて、赤ちゃんはまた大きな声で泣き始めました。
 すると、その泣き声に導かれるように、ざわざわと木が枝を揺らし、葉が音を立て始めました。風もないのに、不思議です。

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コメント
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    コロンブスの卵ではありませんが、後になって「こんなこともわからなかったのか」と言われたところで、いくら自分ひとりで考えたところでわからないことはわからなかったりするのです。そして個人的には、「ほんとうにみんなわかっているのか?」なんて、はすに構えてしまったりします。 「わかっている」という顔でふんぞり返る前に考えるべきことを思い出させてくれる作品です。(3月期優秀賞受賞者:菊野琴子)