小説

『燃ゆ音』海老原熊雄(『かちかち山』)

兎と鮎釣りをしながら尋ねた。
「祖先が殺されてなあ」
兎は衒いもなく言い放った。
「それ以来、遺伝子に刻まれとるんかね。気がついたら殺し合いの仲や」
器用に魚を釣り上げる、穏やかな兎の横顔には殺伐とした言葉は似つかわしくなかった。
そして獣たちは、
「あんたら山守さんとも先祖十代、一千年の付き合いらしいで」
その言葉が、月子の心に残った。
「わたし、本当になあんも知らんやないか」

凍てつく風が村に突き刺さった日。
連綿と紡がれてきた山の歴史、カラシナ町が享受してきた豊かな自然は一人の山守と二匹の獣によって齎された。
山守は、森を荒らし回る害獣であった狸をとうとう捕らえた。
しかし、手八丁口八丁な狸は山守が留守の間に山守の妻を言いくるめて、ついには殺してしまう。
山守は自らの手には負えないと、仲のよかった兎に狸をこらしめるように頼んだ。
兎は、あの手この手で狸を痛い目に合わせたが、そのうち狸も仕返しをするようになった。
その報復合戦を見かねた山守は仲裁役に回ることになったが、喧嘩はいよいよ誰にも止められず、狸の背負っていた薪に兎が火をつけ、一帯が焼失することとなった。
あたり一面を焼き尽くした大火は、皮肉にも木々が力強く成長する土壌となり、このカラシナ村の糧となった。

凍てつく風が町を突き刺す日。
いつになく葉が揺れ、一迅の風が吹き荒ぶと山が震えた。
置屋でようやく見つけた古い絵巻物に描かれた山の歴史。作者は山への感謝を教訓にと物語に託したのだろうが、若い山守には謝罪の念が浮かんでいた。
「わたしらの所為やんか」
かち。
「謝らな」
かちかち。
時計を見やると、二本の針は沈黙している。
かちかちかち。
「時計ちゃうんけ?」
かちかちかちかち。
「なんの音やろか」
何処からか、誰彼問わず声を上げる。

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