小説

『燃ゆ音』海老原熊雄(『かちかち山』)

山が少女のものになった。
山の名は、”かち山”という。
人と人とがかち合う往来の場、戦の勝ち鬨を挙げる場、また、大昔に山火事があり”かじ”転じて”かち”山など、諸説あるらしいがその説の豊富さが、この山の歴史深さの表れでもある。
蝉鳴く、雲の重たい昼下がり。仏壇の前で手を合わせる女子高生ひとり。
少女の名は、”嶽月子”。
代々その山を所有し、管理保全してきた”山守”を生業とする”嶽家”のひとり娘。
「月子、きょうは学校帰りに山神さんところに挨拶いってくるんよ」
食卓には、味噌汁、味噌漬け、味噌焼きが並ぶ。
「わかっとるよ。父さんは気楽なもんやね」
「皮肉をいいなや。天国の母さんが泣くで」
「きっと母さんも皮肉をいいよるわ」
「減らない口やな。今日は豪勢に味噌鍋やからはよう行って、はよう帰ってきいや」
「そら毎日、毎日豪勢なこった。そいたら行ってきます」

山に抱かれるようにひっそりと在る”カラシナ町”。
そこでは、唯一の特産品である”味噌”を寄る辺として、町民のほとんどが味噌産業に従事している。
町人たちは、五穀豊穣を願う対象、又実際に特産の味噌を産み出す恩恵の為に、山を崇めてきた。
その山は、大規模な丘といった印象を抱くほど優しくなだらな山肌を持ち、大きな災害を生むこともなく、只々豊かな緑と綺麗な土壌が小さな町の盛栄に、大きく寄与している。

低い町並みは、背景に山を敷き、少女ふたりが自転車押し歩く。
友人の蛍は、町長の娘で嶽家と昔から交流がある。
「月子、あんた山守さんなったんやろ」
先代の祖父”良蔵”が亡くなり、山守の跡目は、若い月子が引き継ぐこととなった。
「そうよ。今日山神さん会ってくるわ」
「よう軽く言うなあ。わしらの守り神さんやで」
「せやけど実感湧かんしな。山の保全いうのも私わからんのよなあ」
「父ちゃんが、最近タバコのポイ捨てやら、勝手に山菜採っていきよったり増えてるゆうとったよ」
「それは町内会も見廻りやりよるやん。わたしらもよく借り出されるしやな」
「そうやけど、良蔵さんには何も教わらんかったん?」
「本当は母さんが継ぐとこやったしなあ」

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