小説

『続風博士』長門長閑(『風博士』坂口安吾)

                            
 諸君、驚くなかれ! 何と風博士は生きておられた。
 諸君は、鎌倉市某町某番地なる風博士の別荘は御存じであろう乎? 御存じない。それは大変残念である。それでは諸君は偉大なる風博士は九死に一生を得て、そちらに逃げ込んでいたことも御存じないであろうか! ない、嗚呼。僕は偉大なる風博士の書簡を読んでどんなに深い感動を催されたであろうか。
 そして諸君は、かの憎むべき愛娘、蟹娘の――あ、諸君はかの憎むべき蟹娘を御存じであろうか? 御存じない。嗚呼、それは大変残念である。では諸君は、まず悲痛なる風博士の書簡を一読しなければなるまい。

 
風博士の書簡

 
 拝啓。
 貴君、蟹娘には気を付けろ。彼女は私の娘である。然り、放蕩娘である。放蕩娘以外の何物でもあるまい。悪い子供を作った。間違いであった……。我が人生一点の曇りがこれだ。
 まことに痛恨の極み! 兎にも角にも情けないの一言。かくも禁忌を侵すことばかりに全力を注いで、貴君はいったい何をどうしたいと言うのか。

 余の朝は二度寝の誘惑との格闘から始まる。中々、中々に一度きりで起きれるわけがない。これは紛うことなき真理である。余は何度も心の中で「今こそ起きなければならない」と呪文のように唱える。……だがしかし、それも無駄な努力なのである。
 そんな時、彼女は私の背中に氷を入れて、快刀乱麻の如く我が惰眠を断つ。当然、私は彼女を叱責すると、そして彼女はこう言った「melancholy」。何たる所業! 何たる悪行! これは許しがたい暴挙暴論である。誤解を怖れずにあえて言おう、彼女は侵略者であると。
 貴君、余を指して誣告の誹りを止め給え。何となれば、真理に誓って彼女は悪女である。なお疑わんとせば貴君よ、由比ヶ浜・材木座はHotta Masaki氏に訊き給え。今を距たること五年前のことなり、彼女は地上波放送に進出したのである。
――そして兄者である、貴君の心をも奪っていったのだ! いやまったく、恋は盲目とはこのことである。

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