小説

『私は私に飽きるから私を』枯木枕(『刺青』)

 大学に入学する前の春休みに一〇〇万回の土下座で両親から借りたお金に時給八五〇円のバイトで貯めた雀の涙ほどの給料全額を足して、私は私の顔に美容整形を施す。
 すると、小学生のうまく動かせない未発達な手で作られた紙粘土調の不細工な顔はなんとかマシに見られるようになる。裏で馬鹿にされたり変なあだ名つけられたり趣味趣向も合わないのに仕方なく集まったカースト下位グループに所属せざる得なくなったりする、なんてことはなくなる。そういう、いままで私の顔面によって私にもたらされ続けた災害を私は未然に回避してみせたのだ。大学での人間関係はとても良好でいまの私はホントうまくやれてる。なにせ、私はいままでの私ではなくなったのだ。あたりまえだ! 容れものが違うんだ。容れものの形が変われば中身だって矯正されて変わってしまうに決まっている。
 それでも私が客観的に見てとんでもない不細工だったって事実が消えるわけではなくて、せっかく地元から離れて遠くの大学へ通いだしたのに夏休みで帰省したときに家の近くのコンビニで小中高と同じ学校だった男子に出くわしてしまって私は彼に「ん、鈴森?」「え、顔違くね?」「整形したんだあ。へえ」って言われてその二日後には地元の同世代の中で私は「改造人間スズモリー」とか「美容整形魔人」とか「みにくいアヒルの子(自力で成鳥)」とか呼ばれて話題の人となる。三日は寝込む。これだから考えの古い田舎は嫌なんだよ、って捨て台詞を頭の中だけで反芻しながら飛行機に乗り込んで大学へ戻ってやる。

 
 私は私の整形に周りから拒否反応が起こるたびに不思議で仕方がない。みんな服や髪型には飽きてころころ変えるくせにさ、自分の顔っていうか肉体には飽きないってどういうことよ? 私、あんな顔だったから整形したってのもあるけれど、何年も同じ顔であることが子供のときからすり減らしてきた汚いスニーカーを無理して履いているような気分でもいて、ほんとうにむず痒くてむず痒くてどうしようもなかったのだ。しかも元々デザインの気に入らなかった靴だ。そんなの脱ぎ捨てられずにいられる? 私には無理だ。
 そしてそれは整形して過去を破り捨てた自分への免罪符的な考えではなくてほんとうに私の中の私の芯に刻まれてあった私の真実だったようで、遂には大学二年の春にいまの顔にも飽きて耐えられなくなる。

 
 もう一度整形するにはお金が足りないので、私は正規のクリニックではないモグリの医者に借金しつつまた顔を変えることにする。
「まぶたと鼻と、骨格削って……随分イジっているんだね」
「はい」
「術後は、こんな感じ」って言いながらそのモグリの医者は整形後の詳細な絵を見せてくれる。首筋から上を描いた、繊細なタッチの線画だ。

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コメント
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    どこまでも自分の容れ物に(ひいては中身にも)執着のない「私」と、最愛の人の姿をした容れ物が(そしてその中身も)欲しくてたまらない「先生」の対比が冷たいような熱いような不思議な感覚で、気持ちよくゾワゾワしました。(3月期優秀賞受賞者:木江恭)