小説

『ベーカリー ヘクセンハウス』鳩羽映美(『ヘンゼルとグレーテル』)

「試作品なんだよ。食べてみな」
老婆は焼きたてのパンをひとつ、私の手のひらにぽんと落とした。
綺麗な焼き色のついたまん丸いパンは、生き物みたいにあったかくて柔らかくて、いい匂いがした。
「あ、ありがとうございます……」
知らない人から食べ物を貰って良いのだろうかと思ったが、逆らって先ほどのように怒鳴られたら怖いし、なによりお腹が減っていたので、私はそのパンにかじりついた。
クリームもなにも入っていないのに、はちみつとも砂糖ともつかない優しい甘みが口のなかに広がる。不思議なパンだった。
おいしい。
ごくりと飲み込んで、そのおいしさに思わず息をついたら、老婆がこちらを見た。
そして、やっぱり魔女のように、いひひと笑う。
「あんた、うまそうに食べるねぇ」
途端にひどく恥ずかしくなってしまって、私は老婆から目を逸らした。
こんな身体になってしまってからというもの、人前でものを食べるのが苦手になった。
食べることしか楽しみがない人間だと、ばれてしまいそうで。
慌てて残りを食べ終えると、老婆はもうひとつ、私にパンを手渡そうとする。
「これも食べな、売れ残りだけどね」
「あ、いえ、もう大丈夫です」
「嘘つきな、あんたそんな身体でそれだけしか食べられないことないだろう」
ぐ、っとなにも言えなくなる。恥ずかしくて顔が熱くなるのが分かった。
なんて遠慮のない物言いをする人なんだろう。
でも、仕方ない。言われるような身体をしている私が悪いのだ。
老婆は私の顔をじっと見ているようだったが、私が目を合わせる前に背中を向けた。
「じゃあ、持って帰りな」
「……ありがとうございます」
老婆は意外なほど丁寧な手つきでパンを透明な袋に入れて、それをさらにお店のロゴが入った手提げ袋に入れてくれた。

家に帰ってすぐ、私はコンビニで買ったものではなく、老婆に貰ったパンを食べた。
やっぱり今までに食べたことがない、不思議に優しい味だ。
袋には「Hexenhaus」とロゴが入っていたが、さっぱり読めず、ネットで調べたらそれは「ヘクセンハウス」と読むらしかった。

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