小説

『屋根裏の文吾』末永政和(『屋根裏の散歩者』)

 体の節々が痛む。昔は一週間以上潜んでいても何ともなかったのだが、寄る年波には勝てないということだろうか。いい加減、この稼業から足を洗おうかと文吾は考えていた。かといって、これから先の生活を保障してくれるような蓄えなどあるはずもない。文吾は投げやりな気持で、懐中から茶色の小瓶を取り出した。瓶に貼られた小さいレッテルには「MORPHINE(o.×g.)」と書かれている。小匙に半分程度の白いモヤモヤしたものが透けて見える。昔、同業者からもらったモルヒネだった。
 毒物を所持している泥棒は意外に多いらしい。文吾のように老齢にさしかかった泥棒はなおさらだ。他人を殺すためではない。自分を殺すために持ち歩いている。盗みを働く以外の生き方など知らないし、今さら捕まって刑務所に入ったところで、刑期などたかが知れている。寒空の下に再び放り出されて野垂れ死ぬのがオチだろう。それならいっそ、自分の最期は自分自身でケリをつけたい。いざそのときにどうなるかは分らないが、覚悟を決めていれば、不確かな今を強く生きて行ける。
 文吾はまた、もうひとつの意味をモルヒネに求めていた。たとえば天井裏の節穴から、真下の湯呑み茶碗にこの毒薬を垂らしたらどうなるか。その気になれば、俺は労せずして眼下の住人を死に至らしめることができるのだ。そう思うだけで、屋根裏という狭苦しい空間に身を潜めていても、何か全能の存在になったような自信がみなぎってくるのだった。

 この部屋に住んでいるのは、八十歳近い老婆だった。生活は質素そのものだったが、立ち居振る舞いを見ていれば以前はそれなりの暮らしをしていたことがうかがえる。人間性と言うものは、箸の上げ下げにさえもあらわれるものだ。たとえ言葉を交わさずとも、五日間も天井穴から覗いていれば大体のことは見えてくる。
 朝はコンビニでパートをしており、五時半に家を出て十時過ぎに帰ってくる。掃除や洗濯、食事を済ませると、今度は駅近くの美術館へ向かう。ボランティアスタッフをやっているらしい。ボランティアだから金にはならない。これも道楽のひとつだろうか。
 こうした生活パターンをある程度把握したうえで、屋根裏に身を隠すようにしている。慎重を欠けば、この生業は成立しない。
 広さ六畳のリビングは、いかにも閑散としている。小さなテレビ、畳まれた布団、折りたたみ式のテーブル、無地のクッション、そして部屋の広さには不釣り合いな仏壇がある。老婆が出て行ったのはほんの三十分ほど前だ。まだ線香の匂いが漂っている。
「こんな退屈な暮らしでよく飽きないもんだな」
 自分のことを棚にあげてつぶやく。妻と娘が出て行ってから、独り言が増えた。

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