小説

『対価』久保沙織(『人魚姫』)

 手のひらにすっぽりと収まるこの胸も、悩みの一つだった。
 顔と、次は胸も大きく。一粒で全てが叶うのなら、お願いした方がいいに決まっているじゃないか。洗顔料を顔につける前に、よおく鏡と対面した。

「あれ、私こんなにシミ多かったっけ?それにシワも濃くなってる気がする」
「綺麗な顔ばっかり見てたからかな…」
 マスターの笑いジワはあんなにも魅力的なのに、私のシワは醜さを重ねる一方だった。

「ごめんなさい、お待たせして」
 家を出る直前、私は一粒薬を飲んだ。今の私は、ファッション雑誌の表紙も飾れるであろう、素晴らしい体型をしている。もともと太ってはいなかったけれど、美脚をついでにお願いしたのだ。

『ううん。そんなに待ってないし、大丈夫だよ』
『休日はまた印象変わるね、可愛い』
 可愛い、だなんて未だに聞き慣れない。偽りの姿を本当だと思っているマスターに対して、急に申し訳ないと思ってしまった。
 14時から始まった遅めのランチは、お客さんが少ないこともあって、二人でのんびりすることができた。
 こんな風に男性と二人きりで食事をするのは初めてのことで、緊張はしていたものの、マスターが会話を弾ませてくれたおかげで、終始楽しく、時間が経つのもあっという間だった。

『あー、もうこんな時間か。開店の準備しないといけないんだよね』
「そうですよね。お忙しいのに有難うございました」
『こちらこそ』

 マスターがさっと伝票を取り、支払いを済ませてくれた。

「すみません。そんなつもりじゃなかったんですけど…」
『いいのいいの、俺が誘ったんだし。その代わりまたお店に来てね』
 私の好きな笑顔でマスターが笑ってくれる。

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