小説

『おいしくなる魔法』枯木枕(『ヘンゼルとグレーテル』)

 少年が魔女に監禁されてから、もうひと月も経っていた。
 鉄柵に汚れた霜が降りる寒さと、牛の糞のような匂いの漂う暗い牢獄だけでも、少年のこころをすり減らすのに十分であったが、それ以上に、空腹と渇きが少年の精神をヤスリで削るようにいやらしく追いつめた。一ヶ月前、魔女のお菓子の家に齧りついてからは、なにも口にしていなかった。どうして自分がまだ飢え死んでいないのか不思議だったが、それももう限界だった。少年は、口から尻の穴までにでっかい空洞ができたようだと感じた。自分の体から水分と共に色彩さえ抜け出しているみたいだ。ぼくの運命はここで色抜けた干物になることなのだ、と少年の頭はわかっていた。
「……ぼくは馬鹿だ……これはお菓子の家なんてものに齧りついた罰だ……欲望に勝てなかったぼくが悪いのだ……」「……あのとき……妹の忠告をきいて引き返せばよかったのだ……」「……そうすれば魔女の怒りを買うこともなかったのに……、」
 牢屋には、おそらく前に捕まって殺されたであろう子供の人骨が転がっていて、孤独と恐怖で頭蓋がいっぱいにならないように、少年は毎日その骨に話しかけた。しかし最近は少年が言葉を発しているつもりでも、実際は言葉にならぬうめき声が漏れるだけだった。化石のように干からびた少年の喉は、もう使いものにならない。
 恐らく助けはこないだろう、と少年は確信していた。
 少年の妹は聡明な子だった。もしまだ生きているなら、きっと魔女を出し抜いてぼくを助けにきているはずだ、と少年は思った。しかし、助けにこないということは、もう妹はとっくに始末されているということだろう。
 二人の母親が少年たちに与える食事はいつも少なかったが、兄想いの妹は、育ち盛りの兄のためにいつもその少ない食事を分け与えていた。それでつけ上がって自制を忘れた少年は、その食欲のためにお菓子の家に齧りついて、妹まで魔女の怒りに巻き込んでしまったのだ。
「……欲しい、欲しい……食うもの飲むもの……どんな粗末なもんでもいい……腐った水……ロバの腸……毒虫の死骸……それすらいまは……ご馳走なのだ……どうか、どうか……」
 うめき続ける少年の鼓膜を鳥の悲鳴ようの音が叩いた。音の方へなんとか視線を動かすと、牢屋の柵の外に魔女が立っている。
 魔女だ、と心臓が少し凍る。
「ずいぶん、やせ細ってしまいましたね」と魔女はしわくちゃの頬を緩めた。「いい気味ですね。これは私の家を勝手に食べた罰なのだから」
 魔女が指を動かすと、少年の顎が踊りだし、顔の下半分が体から離れて、牢屋の柵を越えて魔女の目の前に浮かんだ。「なんだこれは!」と叫ぶとそれは確かな声になって、暗い牢屋に響いた。
「いまお前の口は、飢え渇いた体から離れているから、当然に話せるのです」
 目の前で行われている奇怪におののきながらも、少年は舌を回した。

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