小説

『クリとネズミとタイガーと』柏原克行(『金の斧』)

 急な異動だった。この春で勤続七年目を迎えるサラリーマン、小野大我の下に辞令が下ったのは。暦上はとっくに春を迎えていたが未だ外は寒風吹きすさび、大荒れの日が続く。ニュースで近年稀に見る春の大嵐だとか何とか騒がれていた、そんな最中の出来事だった。
「今までご苦労だったな。新天地ではせめて、ここ以上に活躍してくれると願っている。頑張りたまえ!」
「ありがとうございます部長。あの、急な話で私が担当していた取引先は大丈夫なんでしょうか?」
「あ~、あれな。大丈夫!気にするな。お前の代わりに適当な誰かに引き継いでもらう。まぁ元々、販路が確立されてる安牌ルートだしな。お前じゃなくともなんとかなるさ。安心して行って来い!」
「ハイ、ありがとうございます!今までお世話になりました。大した業績も上げぬまま、ここを離れるのは誠に口惜しく残念ですが次の部署でも一生懸命頑張りたいと思います。」
 この営業所に配属されてからというもの部長には叱られてばかりだったが最後となるこの日ばかりは第三営業部総出で温かく送り出してくれた。綺麗なオフィスとはお世辞にも言えないが独特の雰囲気があり何処か居心地の良かった約七年間を過ごした部署を離れるのは矢張り心寂しく、大した成果を生み出せなかった己の体たらくで、またまだ頑張らなければいけないと思っていた矢先の予想もしなかった急な異動に少し戸惑いつつも新たな職場への期待と不安とを胸に大我は新たな一歩を踏みしめるのだった。

 翌週、早速にも新しい職場で新しい仕事が始まる。嘗ていた営業所から二駅の所にある本社へと向かう。新入社員だった頃に研修等で出向くことはあったが事業の根幹を担う大事な部署がひしめき合う本社で働くことになろうとは夢にも思わなかった。今回の異動は出世とは少しニュアンスが違うのだろうが大我にとってはそれも期待に胸を弾ませる要因と成り得た。
 本社ビル一階の受付で新しく用意された入館パス等を受け取り案内された部署に向かう。本社の記憶もあやふやな事もあり少し迷ったが配属先のドアの前に漸く辿り着いた。ネクタイの緩みを治し、大きく深呼吸し“二度”ノックしてドアを開ける。
「失礼します。本日より配属されました小野大我と申します。どうぞ宜しくお願いします。」
「おー、よう来なすったねぇ。聞いとるよ。そう堅苦しくせず楽にして。」
「あっ、ハイ…どうも。」
 見る限り定年間近であろう年老いた白髪の男性が先端にゴルフボールが付いた孫の手で自らの肩を叩いていた。彼は取り敢えずここに座れと言わんばかりにキャスター付きのボロボロの椅子に手を伸ばし大我に差し出した。

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