小説

『吾輩は21世紀の猫である』次元(『吾輩は猫である』)

 一般に人家に飼われておる猫は用を足す場所を決められておるらしいが、吾輩は自由主義を以て自らを任じておるのでそのへんは世の常の猫に似ない。主人もまた放任主義を以て自らを任じておる教育者である。故に吾輩はその時々で気に入った場所に放尿することにしている。一時期風呂場の前の洗濯機に飛び上がってそこに置いてあるハイカラなタオルケットの上にするのが乙な趣味に感じられて専らそこでしておった。すると主人が風呂上がりに毛髪をそれでもって拭く。毛髪のみならず顔面から臀部までごしごしと盛大にやる。吾輩の尿の匂いがこってりと染み付いておるはずだが無頓着な主人は一向気づかない。クレオパトラは猫の尿を媚薬として体に塗ったというが、現代でこんな洒落者は主人くらいであろう。効果てきめん主人の顔は数日で真っ赤に腫れ上がって痒くてたまらんと言い出した。そうして多量の殺虫剤を部屋中に散布しだした。全く見当外れもいいところで、吾輩は耳を聾するスプレーの音と白濁していく空気から難を逃れて押入れの隅に退散せざるを得なかった。後日内科に行ってどうやら猫アレルギーではないかとの頗る曖昧な診断を受けて帰ってきた。爾来、御苦労千万なことにアレルギーの薬を飲んで吾輩に接しておる。主人にかくまで気を遣わせては吾輩も人生意気に感ずるところがあり、タオルケットに放尿するのは止す事にした。代わりに大小おしなべて浴槽で行うと決したので主人もそれを察し砂を敷き詰め浴槽の扉を開けておくようになった。実際吾輩ほど厚遇を受けておる猫は世に稀ではなかろうか。主人は湯に浸かる事を放棄したのみならず、砂に水がかからぬよう毎日風呂場の隅で屈んで小さくなってからシャワーを浴びるのである。

 主人の一日の大半は読書とネットゲームとラインに費やされる。読書は感心なほどよくやるが、一見して「書を読む」という風情では無い。タブレットで作者死後五十年を経過した著作権フリーの作品をダウンロードしてしきりにタップして読み進める。まさか吾輩もこんなカタカナ語ばかり並べ立てる事になるとは思いもよらなかった。今の吾輩の困惑の状況がまさに「主人の読書」を遺憾無く表現しておる。つまるところ新旧が激しく混在している。最新の機器で以て百年前の作品ばかり読んでおる。だから二十一世紀の今日にこんな古臭い文体で書いているのだろう。
 ネットゲームに就いてはこないだ主人が学校の授業で弁じておった。夫子曰くというやつである。
「ネットに繋ぐオンラインのゲームは広い意味では全部『ネトゲ』だろうが、もともとはチャットが完備されている大規模MMO及びMOのことを言うんだよ。みんなで協力して巨大な敵を倒したりそこでセカンドライフ的な生活を送るゲームのことだよ。長くやっていると自然に仲間や家族ができていくのが楽しい。君らの好きなガチャ引いて当たった外れた一喜一憂したり、人殺しまくってヒャッハー言うゲームではないよ」
 国語の授業にこんな講義をはじめるので生徒はポカンとしている。一部は嬉しそうに聞いている。嬉しそうにしていた奴ほど後になって他の教師にチクる。この「チクる」という言葉は密告の謂であるが、吾輩は存外気に入っている。行為に就いてではなく表現の当を得ているのに感心する。一撃を持って相手を打ち倒すにあらず。巨大な盾の陰に隠れてチクチクと小さな攻撃を加えていく。実に状況を表したるに妙なる言葉である。

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