小説

『吾輩は21世紀の猫である』次元(『吾輩は猫である』)

 一番彼の相手をしてくれるのは弟君である。この弟君は完全なるどこに出してもまず恥ずかしくないニートである。ニート歴も十年を閲する古強者である。しかのみならず、この弟君は必要最低限の買い物以外では殆ど外出ということをしない。専ら臥竜窟に閉じ篭もり終日パソコンのモニターを眺めておる。世に謂う「プチ引きこもり」というやつである。先ほどの「半ニート」の「半」に対するように、この「プチ」に就いても吾輩の深い識見から一家言申し添えたい所だが、目下プチトマトくらいしか思いつかぬ次第であるからやめておく。この弟君は元来兄と同じ大学の国文科に籍を置いて四年勉強しておきながら、ふいにコンピューターの仕事に就きたいと言い出し専門学校にまた四年通って、そののちゲーム制作会社に就職するも僅か二年で退職し、悠々ニートに収まっている。およそ現代的な飽きっぽい堪え性のない若者からそのまま中年に移行した傑物である。
 だがこの弟君がネット世界では非常に活動的になる。ネットゲームでは主人の片腕となって様々な怪物に勇敢に立ち向かい、ラインのグループではホストとなってその豊富な知識でもって話題を提供し続けている。軽妙洒脱な饒舌ぶりは真作で言うところの迷亭君あたりに見立てても良い。ただし迷亭君のごとく飄然と現れ去っていく軽薄さはなく、巌窟王のごとく自室に尻を落ち着けて動かない。吾輩も幾度かこの弟君が囚われしプリズンへの侵入を試みたが、出入すべき扉が滅多に開かぬ故をもって諦めた。自ら好んで囚われておる者に救出の手を差し伸べる愚もあるまい。主人とは毎日モニターの中で盛んに会話しながら、月に一度も直接的会話を持たない。母屋と離れに分かたれているとは言え、同じ敷地内に住んでおって一度も顔を合わさずに、外に向かっては「兄弟仲は非常に良い」と喧伝しているのだから奇妙な兄弟である。両親は既になく肉親と呼べる者もことごとく天国に召されて生き急ぐ傾向の家系にあって、この悠々閑々たる兄弟は一つの奇観であろう。「新・太平の逸民」と言った所である。
 まさしくこの弟君は新人類である。なにしろ厠に行く必要を認めない。だからといって排泄する必要を認めないほど身体に著しい進化を遂げた新人類かと言うとそうでもない。小をペットボトルにするのである。大はさすがに厠へ足を運ぶ。横着もここまでくると一つの大いなる完成のように思われる。だが緑茶の容器に尿を入れて、翌日気づかずに自らそれを飲んだのは失態であった。
 かくて二人で親の財産を食いつぶしながら細々と暮らしておる。主人はなにかの拍子にふと将来を案じて切ない顔をすることがある。そして吾輩に向かって「おまえは気楽でいいよなあ」などと愚なことを話しかける。

 厠で思い出したが、吾輩は専用の豪華絢爛たるトイレットを持っておる。これは一般には浴槽と称される物である。浴槽は湯に浸かる場所であって用を足す場所ではないと人は言うかも知れぬ。だが諸君らの幼少の砌を思い出してみたまえ。湯に浸かりながら同時に用を足した思い出はないかしらん。どちらにせよ、この家ではそんな芸当は到底出来ない。なんとなれば浴槽に砂が敷いてあるからである。これは砂風呂などという風流な物では無い。猫用の砂を浴槽に満遍無く敷き詰めてあるのである。これには子細がある。

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