小説

『花びらを蹴散らして』柿沼雅美(『桜の森の満開の下』)

「無礼講とか、最近の若い子は使わないでしょ」
「あぁそういうのよく言われます」
「だから敬語じゃなくていいって。ひかるさんは、3女? 就活中?」
 先生のようにしゃべるなぁ、と思いながらチューハイを飲んだ。
「うん。でもあんまり。それよりもうちょっと音楽とかやってみたくて」
 いいじゃん、と思いがけず啓介が言ってくれて、ちょっと話がしたくなった。
「あの、アイドルとかアーティストのデビューとかそんな大それた事したいっていうか、してみたいとは思うけど、それより、音を作ってみたいというか、時間の流れを表現したいというか」
「ふぅん、どんなの聞くの?」
「はっぴいえんどとか、キリンジとか…」
「へぇ、趣味いいね」
「分かるの? まわりの友達とか全く知らなくて。X JAPANが好きって言うのは分かってもらえるんだけど」
 私が笑うと、それはさすがに分かるでしょ、と啓介は身をのりだしてポテトチップスを掴んだ。
 手につまんだ2枚のポテトチップスを私のほうに近づけ、私はなぜか自然に1枚だけ口で受け取った。餌付けされたみたいだ、と思ってまたちょっと笑った。
「ほんとは別に何かに限定しなくても、何かやってみたいなっていうことをほんとにやってみたい、って感じ」
「実はその時しかできなかったりするからね、いいんじゃない?」
「そんな他人事だからって」
「今なんかもこうやってさ、桜が咲くとみんな好きなように酒飲んだりお菓子食べて花の下で絶景だの春爛漫だのって浮かれて陽気になるけど、それはウソだよね」
 へ? と啓介を見ると、さらに続けた。
「桜の下で集まって酔っぱらってゲロ吐いたり喧嘩したり、それは江戸時代からの話でさ、大昔は桜の下は怖いものだったんだよね」
「たとえば?」
「たとえば、桜の花の下から人間を取り去ると怖い景色だと思わない?」
「なにそれ、啓介さん酔ってる?」
「まさか、ビール1本で。能にもさ、ある母親が子供を人さらいにさらわれて、発狂して、桜の花の満開の下へ来掛かって、見渡す花びらの影に子供の幻を見て狂い死にして花びらに埋まってしまう、っていうのもあるしね」
 私はその光景を想像しながら、へぇ〜と返事をした。

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