小説

『川せみになる』菊武加庫(『よだかの星』)

 見かけた人は口々に「楽しげに勢いよくこいでいたよ。何かいいことがあるように見えたんだけど」と言って首をかしげた。声をかけた人もいた。
「暗くなったよ。楽しそうだけど、もう帰らないと」
「はい。ちょっと行きたいところがあるんで」
 幸奈は朗らかに見えて、とてもこの先恐ろしいことが待ち受けているようには見えなかったという。
 それから先は想像でしかない。あの体格ではいかに張り切っていても、頂上まで自転車で登りきるのは容易ではなかっただろう。鍛えていたわけでもない。途中で降りて押しながらやっとで辿り着いたにちがいない。その顔は苦しげだったのか、晴れ晴れとしていたのか誰に聞くことはできない。
 そのあと頂上で迷う時間がきっとあった。星を見上げ、しばらくじっとしていたかもしれない。当時の私はそれ以上考えたくなくて、その想像のあれこれ、そして幸奈の存在すら早く早くどこかに押しやって、のぞけば蓋の空かない箱に閉じ込め、重りをつけてどこかへ沈めようとした。

 翌朝、山歩きを習慣にしている夫婦が幸奈を見つけた。高さがちょうど良いため、毎朝登ってから出勤する人もいるくらいだ。その夫婦はいつものように早朝頂上まで登り、東屋(あずまや)で一休みして下り始めたらしい。最初のカーブに足を踏み入れた時、ガードレール下の風景に違和感があったと言う。いつもなら見えない物がある。そこで少し戻って、裏の山道を下りて近づくと、幸奈がいた。オレンジのフリースが鮮やかな花のようだったらしい。少し離れたところに自転車が落ちていた。
 校長や担任が慌ただしく報告したけれど、事故なのか、自殺なのか、結局わからなかった。わかっているのはあの夜、幸奈がものすごいスピードでブレーキをかけることなく自転車で下りようとしたこと、そしてカーブを曲がりきれずにガードレールを越えて転落して死んでしまったこと、それだけだ。書き遺したものは見当たらず、何か聞いた人もいなかった。日記らしきものはなかったが、机が年頃の子にしては殺風景すぎたため、あれこれ憶測された。だが、もともと物を持っているほうではない。身辺整理とは限らないとされた。
 葬式は自宅で行われた。テレビで見るように制服の同級生がずらり並んで号泣する場面はない。幸奈のお母さんから狭いので気持ちだけでと、クラスメート参列は断られた。代表で学級委員の二人、そして親しかった私だけが担任につれられて焼香をした。
 本当に狭い。こんな狭いところで幸奈はいつも母を待って勉強していたのか。小学校の頃、何度か遊びに来たことがあるが、こんな狭さを実感たことはなかった。幸奈の成績は学年で三番から落ちることがなかった。いつも新学期に教科書をもらうと夢中でこなし、一学期の半ばには、することがなくなっていた。ガリ勉と揶揄する人もいたが違う。たった一度だけ「お父さんきらい。時々お母さんを叩くの」と小学生の彼女がポツリと呟いたことがある。両親の怒声や暴力から目も耳も塞ごうとして教科書に向かっていたのだ。

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