小説

『兔は野を、我は海を』百瀬多佳子(『うさぎとかめ』)

 葉子という名を、ときに恨めしく思ったものだ。なぜ花でも実でもなく、葉なのか。地味すぎる。よりによって、苗字は亀野。かめのようこ。亀のよう(な)子。なぜ絢華ではないのだ!と息巻いたところで、父が幹夫、母は一枝、兄は大樹、私はなるべくして葉子になったようなものだ。理科の授業で光合成を教わり、いっとき葉っぱを見直したのだが、中学に入るなり出会った「絢華」に、やはり「葉子」では到底勝てる気がしなかった。
 妙な劣等感を常に背負いながらも、我が信条、努力と根性で第一志望の中学合格を勝ち取り、入学してからも日々学業に精進しつづけた。自己評価「勉強4」もここに由来する。けっして勘も要領もよくない。一歩ずつ進むことしかできない。いい塩梅に手を抜くとか、出遅れても抜群の集中力で巻き返すとか、生き方の上手い人もいる。おそらく絢華も。でもどこかで信じたかったのだ、どんなに頭が良くたって、日々コツコツ勉強をしているほうエラいんだ、と。だから、泥臭く歩んだ。その亀の子スタイルで、ほしいものをゆっくりと、でも着実に手に入れていくことは、私のアイデンティティそのものでもあった。

 美術が好きだ。静かに絵画や作品を眺めることが好き。美術部にひっそり所属しつづけ、さして絵が上達するでもなかったのは残念だが、描いたり、造ったり、鑑賞したり、純粋に心から好きだと思えた。そして今も―。いつからか、大学では美術史を学ぼうと密かに決めていた。どの時代にもいろいろな作家がいて、己の想いを作品に投影してきた。その想いを読み解き、その背景を想像する。当時の情景がありありと目の前に立ち上がってくる。遠い昔誰かが生きた時代と私の生きる今が交錯するような、そんな空想が私をどこまでも夢中にさせる。美術史なぞ就活に不利なのではないか、そんな外野からの声もしたものだ。だが、大学で学問を存分に追究して悪いはずはない。社会学はつぶしがきくとか、医療系学部で資格を取るとか、そんなものに私は目もくれなかった。やはり要領はよくない。半ば意地か、自分を信じたかったのか。困難があろうと自らの志した方へ。今なら正直に言おう、ほんとうはとっても不安だった。

 二兎絢華―まさかその名をこんなところで目にするとは。浪人期間を経て、美術史を学べる大学へと進学したが、のんきなキャンパスライフもつかの間、即就活戦線に放り込まれた。紆余曲折あったものの出版社に就職した、というと聞こえはいいが、就職そのものが困難なこのご時世に、美術にこだわりつづけた私を卒業間際に契約社員として採ってくれたのが、美術関連書籍も扱うこの会社だった。だが、社会は甘くない。配属先は女性雑誌の編集部だった。社会に出たばかりの数年間とは非常に濃いものだ。その数年を締め切りと原稿との格闘に費やした。美術への想いをおき火のごとく燃やしながらも、いつしか正社員となり、二、三の後輩もできた。もっぱら仕事漬け、たまの美術館通いくらいで正直プライベートなんてそっちのけだ。まぁ文句を垂れながらも、前線で戦うこの感覚は嫌いではない。

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