小説

『水曜日の午後にシロツメクサが降る町』イワタツヨシ(『浦島太郎』)



 子供の頃、私と同等にひねくれている子供が周りにほとんどいないと分かってから、私はそれらのことを自分から話題にはしなかった。私がそれらのことを気兼ねなく話せたのはケイくらいだった。彼は私と同じように、いち早く町を出ていきたいと思っていた。
 ケイは学校の勉強こそ出来なかったが、わざと分からないふりをしてどんな得をするのか、と本人に聞いたことがあるくらい、私が思うに冴えた子供だった。
 子供の頃に悪いことをした思い出の中には大体ケイが登場する。たとえば、初めてたばこを吸ったとき。それから、「入るな」と書いた看板がかかったところに不法侵入したときや、空き家に火をつけたときも。
 そういうとき私は大体、もし見つかったらどうしよう、といつも臆病になってびくびくしていたが、彼はと言えば、その間にどんどん先に進んでしまうような子供だったし、最悪見つかってしまい、怒られてほかの子供が反省しているときに、一人でまたどこかへ行って「(面白い場所を見つけてきたから)また行こうよ」と誘ってくる、物怖じしない、ずうずうしい子供だった。いつも、周りの子供がやってみたいと思うようなことを(やってみたいがどうしようか、と迷っているうちに)何でも先にやった。だからその分、彼は周りの子供が欲しいと羨む物を先に手に入れてもっていた。
 私にとってケイは、その町でいちばんの友だちだった。彼と遊んでいるときがいちばん楽しかった。彼とよく秘密基地をつくって遊んだ。毎年のように、私たちはどこかに新しい秘密基地をつくった。おそらく今でも町の至るところにその名残があるだろう。

 その数ある秘密基地のなかでも、私たちのお気に入りで、最も長い期間、基地にしていた場所は西の地区にあった。古い棟で、その天辺は地上九百メートルの天井まで伸びていた。棟の中は狭く、天辺までひたすら続くらせん階段があるだけで、ほかには何もなかった。どう見ても、棟は長らくうち棄てられ、機能を失っていた。棟の外周にはつる植物が巻きつき、まるで巨大な樹木が一本生えているようだった。かつてそれがどういう役割を果たしていたか、誰も知らず、記録も残されていなかった。棟の唯一の出入り口のドアには分厚い鍵がかかり、鍵穴も錆びで塞がっていた。長い間、棟の中には誰も入っていないようだった。
 私とケイは、一年がかりでその鍵を壊して棟の中に入った。

 二人きりでいるときによくその話をした。閉鎖的な町と一度も目にしたことのない外の世界について。大体、よく分からないことがあまりにも多いのだ。本当に苛々するのは、分らないことが歳を重ねても分らないままになっていたことだった。
 その一つが、ある日が来ると町が大きく揺れることだった。それは年に一日だけ、それも決まって七月三十日に起きた。本当に大きな揺れだが、毎年経験することなので町の人たちは慣れたものだった。パタンも決まっていた。

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