小説

『飼育』植木天洋(『人魚姫』)

 そんな感じでげんなりと棺桶スチロールをあけると、水に浸かったままの人魚と、塩と昆布と浄水器付きシャワーヘッドやらがはいっていた。
 ―—人魚ちゃんは海水でよろ!―—
 それじゃあわからんでしょ、先輩。まあわかりましたけど。っていうか、人魚はお魚なんでしょうか?
 とにかく仕方なく、ネットで調べて調整してバスタブに人工海水を満たし、棺桶から抱き起こした彼女を移した―—そして今に至る。
 度を超した生臭さは、たとえフロアに二部屋しかないアパートとはいえ、クレームがつきそうで気が気でない。換気扇をまわせばどこかにその臭いが排出されるわけだし、窓を開けても同じなので、不用意に換気もできない。
 屍臭とまではいわなくとも、この魚特有の生臭さは強烈に不快だ。もっとまめに人工海水を交換すればいいのか? しかし水道代もバカにならないぞ。 
 そうこうしているうちに、突然電気が切れた。というか、通じない? 
 そうだ、何かの点検のために電気を一時間ほどとめるとかなんとか連絡が―—こんな真夏に? 冷凍庫の食品はどうするんだ! ていうかクーラーないと熱中症で死ぬぞ! なんて住民のクレームは華麗にスルーされ、停電は情け容赦なく実行されたようだ。
 茫然自失。
 冷蔵庫の中の冷えた昆布―—どうしよう。食事は四時間おき(!)だし、真夏に一時間室温で昆布を放置したらどんなことになるか、想像するのもいやだ。
 でもせっかく冷やした昆布が無駄になるのもイヤだな―—生来の貧乏性が、彼女に追加の食事を与えることになった。
 が、それが大きな間違いだった。
 先輩が指示した量以上の昆布を喰ったヤツは味をシメたのかさらなる昆布を要求し、ノンストップ「ギブ・ミー・ミルク!」状態の赤ん坊と化した。
 水をひたすらバシャバシャ、強靱な下半身で浴槽や壁をビッタンバッタン! とにかく大暴れする。震動もすごい。これじゃあ、釣り上げたばかりのカジキマグロじゃないか!(動画で見ただけだけど)
 とにかくお隣さんや上下の部屋の住人に迷惑をかけないために、餌、いや、ごはんをあげないと。
 そう思い、即、追加の昆布を水で戻す。でも昆布はすぐにもどらない。地味な作業だ。昆布がベロベロになるまでに一時間はかかる。しかも大量だ。じりじりとしながら時計を見つめる。
 ベロベロになりつつある大量の昆布。水を吸い膨張して寸胴からあふれ出る黒い襞は名状しがたき悪魔生物の触手か何かのように見える。

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