小説

『なでしこの花』羽矢雲与市(『酒呑童子』)

 桃子姫と公達は僧坊で暮らし始めます。ひと月も経たぬうちに、京の雑色(ぞうしき)や女官、下司(げし)が寺を訪れるようになりました。ここへ来れば鬼神の加護で、成らぬ恋も叶うと云う噂が流れているのです。
 気が付けば、人数は六十を超えていました。半数は京から逃れて来たあぶれ者です。彼は「頭領」と呼ばれ、なでしこと共に小さな集落をまとめておりました。
 百姓や下司は土を耕して菜を育て、日当りの良い土地に穀物を蒔きました。雑色は建物を修繕したり、道具を作り出したりと忙しく働きます。ここでの暮らしは、なでしこが来た頃と比べて驚くほど良くなりました。

 夜が明けると、京では娘を攫われた中納言が宮中に参内し、姫を助けて欲しいと帝(みかど)に泣きつきます。これまで何人もの姫君や女房が鬼神に連れ去られたという噂があったところに、一大事が出来したと騒ぎになりました。
 当代一の武人、源頼光が召され、帝から直々に命が下ります。
「鬼を退治し、姫君たちを救い出すように」
 頼光は邸に戻ると、直ちに四天王を招集します。
「敵は丹波国の大江山に城を構える『守天』という人喰い鬼で、六十匹もの鬼を従えておるそうな。攫った女達を侍らせて、毎夜酒宴を開いていると聞く」
 噂には尾ひれが付き、仁王丸達は人を喰う恐ろしい鬼の一族にされておりました。
 四天王の一人が進言します。
「国元の郎党を呼び寄せ、人数を集めて攻め込みましょう」
 実際に仁王丸と遭遇した渡辺綱は、敵が僅(わず)か二人だと知っています。隠れ里の噂も聞いておりました。
 軍勢を率いて出かけたら世間の笑い者になると考えましたが、真実を話しても信じて貰えないでしょう。主人と朋輩(ほうばい)の面子を立て、彼らの自尊心を刺激する言葉を選びました。
「人数が多くては却って警戒される。時間も掛かる。吾ら精鋭のみで任務を遂行するべきかと存じます」
 頼光は綱の進言を採択し、自分と四天王、わずかの供回りだけで鬼退治をすると決めました。一同は解散し、それぞれ武具や装備を整え、神社仏閣に詣でます。
 中納言の姫君が誘拐されて二日目の朝、頼光の一行は京を発ちました。彼らの顔は厳しく引き締まっています。人々を恐れさせ、帝(みかど)の宸襟(しんきん)を悩ます鬼どもを退治する覚悟が見て取れました。

 山中の集落では危険が迫っている事など露知らず、人々がいつもと同じ生活を送っていました。そこへ桃子姫が、息急き切って駆けこんで来ます。

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