小説

『紅葉かつ散る』鹿目勘六(『一房の葡萄』)

 死に目に会えなかった申し訳の無さが、その想いを強くした。
 生きていた時には、それなりに子供としてやれることをやった積りでいたが、死んでしまうと悔いることばかりだ。
 そのような冴子に追い打ちをかける事が発生する。
 仕事の都合で単身赴任を余儀なくされていた夫の樹生より、唐突に思いもかけないことを告げられたのである。
 赴任先で愛人が出来、しかも子供が出来た、ついては別れて欲しいと切り出されたのだ。
 突然の話に戸惑い狼狽したが、樹生の息子のために正規の父親になりたい、と言う言葉に押し切られる形で離婚届に判を押した。
 両親との死別に続いて夫とも別れることになったのである。
 冴子の気持ちの中で病床の母親を足しげく訪れている間に樹生が、このような背信行為をしていたと思うと、とても赦すことは出来なかった。
 そして彼女には叶わなかった樹生の血を受け継いだ子供を父無し子にするのは、忍びないと思う気持ちもあった。
 冴子は、ズタズタだった。
 それらを振り払うように仕事に打ち込んだ。精神の最後の拠り所を生徒の教育に求めよう必死だったのだ。

 その電話も突然だった。
「先生、明日午後三時にお邪魔しても良いですか?」
 声の主は、吉野京子だ。
「勿論よ!いらっしゃい」
 その声を心待ちにしていた冴子の返事も弾んでいる。
「実はね、先生。由紀子にも声を掛けたら、話が拡がって先生に遭いたいと言う人が七人になってしまったんです。ご迷惑と思いますが、皆でお邪魔しても宜しいでしょうか」
 京子は、思いがけなく大人びた丁寧な調子で尋ねた。
「嬉しいわ、私も高校生になる皆の顔を見てみたいわ」
 その電話を受けた時から、冴子の心は浮き立っていた。
 さて約束のケーキは、どの店のにしようか、飲み物は何にしようか、久し振りに会う生徒達の顔を思い浮かべながら、しばし楽しい選択の時間を過ごした。

 吉野京子達は、約束の時間丁度に冴子の家を訪ねて来た。

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