小説

『紅葉かつ散る』鹿目勘六(『一房の葡萄』)

 各人が選んだ句が披講される時は、張り詰めた空気となる。
 披講された俳句の作者は名乗りを上げる。

 ところが、中々選ばれることはない。
 たかが俳句、されど俳句なのだ。
 支部レベルの句会でも、長老格の支部長を中心にして永年俳句に精根を傾けて来た人達が多い。同じ会の会員なのだが、人それぞれに感性があり、想いがあり、作句法がある。
 そのような人達に自分の句を選んでもらうのは、本当に難しい。
 句会に出した俳句を元にして月一回本部へ五句投稿する。それを主宰が選定し、良かった俳句を佳作として選び、冊子に纏めて返送されて来る。
 農作業と俳句、自分のペースで取り組んで行く。これが一人で生活している冴子の健康と生活のリズムの源泉になっているのだ。

 冴子が俳句に出会ったのは、小学校の授業であった。
 芭蕉の「あかあかと日はつれなくも秋の風」を習ったのである。
 古色蒼然とした言葉に馴染めないものがあったが、繰り返し口にしていると残暑を吹き抜ける一陣の風の爽やかさを子供心に感じた。その風情は、冴子の住んでいた田舎の自然の中で何となく感じているものだった。
 その感覚を僅かな言葉で的確に切り取った、この句に驚かされるとともに心に深く沁みたのだった。
中学校と高校の教科書にも幾つかの俳句が載っていた。中学校の修学旅行で海を見た時、ふと「春の海ひねもすのたりのたりかな」と言う蕪村の句が口をついて出て来た。ハッキリと記憶していないが、恐らくそれまでに習っていたのだろう。
 また、昔の農村では、囲炉裏の周りは団欒の場であり、近所の人との交流の場であった。お茶やお酒を呑みながらの話の中には、物知りが文学や歴史の蘊蓄を披露し場を盛り上げることも多かった。そんな雰囲気も冴子に俳句に親しみを感じさせていたのかも知れない。
 冴子は、子供の頃からノートの端に自分の感じたことなどを簡単にメモしておく癖があった。
 それらは、いつからか俳句の形式で書かれるものも混じっていた。
 そのようにして作った俳句を中学生の時に、地元紙の俳句欄に一度応募したことがある。思いがけず十句の中に選ばれて新聞に載ったのを見た時には、心臓が止まるほど驚いた。
 このようなこともあり、国語は最も好きな科目となり、特に俳句や短歌、詩になると教師を唸らせる解説をしてみせたりもした。

1 2 3 4 5 6 7 8 9