小説

『紅葉かつ散る』鹿目勘六(『一房の葡萄』)

 黄水仙が春の日差しの中で鮮やかに光を放っている。
その周りにはチューリップも花芽をもたげている。万物は蘇りの季節を迎えた。
 冴子の借りている僅かばかりの畑も確かに春の到来を告げている。
 それらを目で楽しんだ後、ゆっくりと黄水仙の花を三輪ほど鋏で剪った。
 するとポケットの携帯電話が鳴った。軍手を取って電話に出ると明るい声が弾んでいる。
「先生、私吉野京子です。今日高校入試の発表があり、城南高に合格しました」
 溌剌とした声が喜びを伝えている。
「良かったね。おめでとう。頑張ったね」
「先生、その内に遊びに行って良い?」
「いらっしゃい、ショートケーキを買って待っているよ」
 冴子の声も弾んでいる。
 それだけ話すと京子はあっけなく電話を切ってしまった。
 冴子は、取り残されたように携帯を手に畑の中に佇んでいる。突然の電話がもたらしてくれた幸福感に浸っていた。
 未だあどけなかった京子達の顔が懐かしく蘇って来る。
 しばらくして、やっと我に返ったように呟いた。
「本当に良かった。他の子達は、どうだったのかしら?」
 担任した京子達が二年に進級する時に冴子は退職した。
 退職後も折に触れて、生徒達のことが気になって堪らなかった。
 そして今年の春は、その子達が高校受験を迎えたのだ。
 今日、県立高校の合格発表があるのは知っていた。その結果は明日の新聞で見よう、と心に決めていたが、妙に落ち着かない。
 受験期の生徒の緊張感は勿論であるが、それ以上に先生のストレスも強い。
 自分の担任した生徒達が、全員希望する高校に入学させたい、との願いで指導をしているが、試されているのは生徒の学力だけではない。生徒に関わって来た三年間の教師の指導力も試されているのだ。
 教師たちも針の莚に座っているような胃の痛くなる日々が続く。
 教員にとって毎年の受験期に罹る職業病とも云うべき欝々とした気持ちに耐えて来た。
 その想いも今年で終わりだ。彼女の関わった最後の生徒が受験を終えるからだ。

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