小説

『邪悪の森』和織(『狂人は笑う』『猟奇歌』夢野久作)

 ため息をつきながら、Yは肩を落とす。全てが、フェイクに見える。全てが作り物。人間の体を、誰かがどこかで操っているような、そこに、彼自体の中には何もないような、Yはいつも、そんな感覚を私に抱かせる。そしてそれはきっと、彼が常に求めているもののせいだろう。Yが恋をするのは、絶望している人間だ。一般的に人が愛を求めるように、Yは絶望を求める。絶望によってのみ、彼は満たされるのだ。
「一つお知らせがある」
 私は言った。
「何?」
「横田小百合さんが亡くなったそうだ」
「・・・へぇ、そう」
 元妻の死を聞いて、Yは小学校の同級生でも思い出そうとしているかのような顔をした。この話は、しようかどうか迷った、というよりは、してもしなくてもいい、と感じていた。この件について、Yが特に感想を持つとは考えられなかったからだ。
「自殺?」
 あっけらかんとそう訊かれて、私はただ頷いた。
「カウンセリングには通っていたんでしょう?」
「そのようだね」
「そっかぁ、まぁ、そうなるよね。死ぬ前の彼女になら、少し欲情できたかもしれないから、ちょっと見てみたかったけど・・・でももう、小百合の一番面白かった時期はとっくに終わってるからなぁ。彼女の両親が僕をこの病院へ押し込む直前が、きっと一番追い詰められていて、いい表情をしていた筈だからね」
「押し込んだなんて言い方はおかしいな。君は進んでここへ入ったんだ。入りたくなければ簡単に回避できた筈だろう。ただ外の世界に飽きて、こういう場所にハマってみようって、ただの気まぐれだった」
「そうそう、その気まぐれで先生に会えたんだから、運命だよ。あんな結婚でもしてみてよかった。結婚したとき、小百合は本当にさ、純真で、こう、まだ強さってものを身に着ける前の、とてもやわらかくて白くて、とにかくものすごくつまらない生き物だったんだ」
「君が彼女を殺した」
「そうだよ。でも僕がそれを認めて、何が変わるの?」
 諭すようにそう言って、Yは息をついた。Y曰く、快楽殺人ほど愚かな行為はない、らしい。物理的な殺人が楽しいのは理解できなくはない。それはきっと邪悪に満ちていて素晴らしい景色かもしれない。けれど、それを快楽にしてしまったら、万一捕まった後にはその快楽を失うことになる。それこそ地獄だ。でも想像の中でならどんな酷いことをしても罪にならないし、言葉で人を殺したことが、物理的な殺人と同等に認められることはまずない。つまり、殺そうとしなければ、ずっと楽しんでいられる。いつか相手が勝手に死んでしまっても、最終的に自分を殺すことを決めたのは自分自身。横田小百合もそうなのだと、Yは言いたいのだろう。けれどYにさえ会わなければ、Yが彼女を騙して結婚して、その精神をボロボロにしたりしなければ、横田小百合は今も笑って生きていたかもしれない。

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